小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

新緑が、眩しく、美しい!:

新緑が、眩しく、美しい!:

冬は、辺りの景色自体が、茶色の落葉樹におおわれてしまうせいか、山並みも、どういう訳か、茶色一色になってしまい、心模様すらも、何とはなしに、暗くなってしまうものである。せいぜいが、雪でも降って、それが、一面、真っ白な銀世界に、変貌する程度であろうか?それに比べると、春先は、日に日に、まず草が、萌えだして、その後、草花が、咲き誇り出す。そうすると、今度は、徐々に、木々も芽吹き始め、やがて、一面が、柔らかい緑色に、包まれることになる。碓井峠も、この時期は、いつものバイパスではなくて、山道をくねくねとゆっくり登ってゆくと、その間の新緑を愉しむことが出来、幸いに恵まれようものならば、山桜や八重桜の花も、愉しめることがあろうか。秋の紅葉は、実に、鮮やかで、綺麗である。しかしながら、緑色をしたこの季節の柔らかな緑の葉も、又、とても、綺麗で宜しいではないか?何とはなしに、モミジに、人生を重ね合わせてしまいそうである。萌え出ずるような新緑の緑色と晩秋の紅葉に彩られる真っ赤な、或いは、まだら模様のその葉の彩りに、まるで、自分自身の人生を重ね合わせてしまうようである。昔の人は、どう思ったのであろうか?同じ、樹を見て、同じ葉っぱを眺めては、どんなことを、どんな思いを抱いたのであろうか?子規はその闘病生活のとこの中から、狭い庭から文学の世界を俯瞰できたように、人は、いつでも、その景色の中から、何かを見いだすものなのであろうか?ふと、モミジの柔らかなこの時期特有の新緑を眺め愉しみながら、そんなことを思う。晩秋の紅葉とは全く異なる、又、真夏のモミジの葉とも、異なる何とも言えぬ「柔らかな緑の色合い」を、暫くは、愉しみたいものである。