小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

軽いステップを踏むということを改めて考え直す:

軽いステップを踏むということを改めて考え直す:

イメージというものを手で描くということは、難しいものである。それは、同じように、ダンスでも、楽器でも同じ事が云えるのかも知れない。身体の機能が、徐々に衰えてくると、イメージを感情表現として、踊るという手法で、肉体的に表現しようとすると、それは、何処か、うまく、肉体を通して表現出来ないのである。脳が、どんなに、イメージを描き出して、踊りという行為を創り出そうとしても、うまくゆかないのである。手や脚に、脳から命令しても、それが、伝わらないのである。踊りというと何か、大げさなように聞こえるかも知れないが、軽いステップですら、今や、肉体的には、結構、至難の技なのである。ましてや、テレビで観ていても、簡単そうに見える、踊りながら場所を移動したり、歌を唄いながら、メンバーと立ち位置を変え、リズムに合わせて、振り付けをするなどと云うものは、もはや、これは異次元の別世界の話なのである。練習と研鑽を重ねながら、そうした単純な動き一つ一つを組み合わせてゆくことは、並大抵なことではないだろうか?竹踏み体操なども、決して、馬鹿にしてはならない。竹踏みを、その前後・左右・斜め「を、音楽を聴きながら、正しいリズムで、踏み越えたり、跨いだり、脳の命令が、脚に伝わらないのである。ましてや、一寸、体重移動を誤ると、軽いステップでも、今や、頭と手と脚がバラバラになり、大問題である。リズム感よく、軽いステップを音楽に合わせて、踏める人を羨ましく思える今日この頃である。