小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ボクシングのチャンプとは?:

ボクシングのチャンプとは?:

どうも、ボクシングというスポーツは、客観的な実力の評価とか、戦前の情報戦も含めて、えこ贔屓過ぎるスポーツではないだろうか?それは、丁度、自らの願望やら、期待がいつも一人歩きして、いつしか、それが、勝利という毒のような悪夢すらも、忘れてしまうところがあるようである。それは、ファンのみならず、スポンサーや放映権を有するテレビ局をも、その毒に犯されてしまうかのようである。井岡の三階級制覇への挑戦などは、その最たるモノではないだろうか?素人が、どんなに贔屓目に観ても、懐に入り込めない以上、有効なパンチなどは、そのリーチ差からも歴然ではあろう。ましてや、年齢差とその老練なキャリアから、そのハングリー精神から拳ひとつで、タイの刑務所から這い上がってきたそのチャンプは、当然、失うべきものが大きく違っていたのかも知れない。技術的には、明らかに、圧倒的に挑戦者井岡の負けは、歴然であろう。綺麗なノック・アウトも、試合的には、或いは、興行的にも、望ましいのであろうが、実際、もっと、こうした一種のドロドロした、やや、汚らしい、いやらしい試合も、何か、日本人の生き方や、世界の中での日本人の在り方を見せつけられたようで、実に、面白いではないか?社会の底辺から、のし上がってきたタイのチャンプに、挑戦者の天才、井岡は、もっと、学ばなければならないのかも知れない。汚い面白くない試合、チャンプが逃げ惑うばかりの試合といってしまえば、それまでであるが、私には、どうしてどうして、日本人の有していない、むしろ、忌み嫌うような要素を観られて、実に面白い試合であったと云って良かろう。もう、何でも金満で、金にものを云わせて、世界戦も自国興行権もすべて有無を言わさずに、思うがままに、行おうとするボクシング業界は、逆説的に、ある種の人間像を投影しているかのようである。ボクシングも、そんな風に、観ていると面白いものである。