小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

真相は何処に?:

真相は何処に?:

それにしても、科学というものは、或いは、論文というもの、仮説の証明というものは、大変なことであることが分かる。もっとも、マスコミ各社のスタンスというものも、報道内容の、とりわけ、記者会見の席上での小保方氏のコメントの引用の仕方で、こんなに、懐疑的になるのか、或いは、やや応援しようとするのか、とりわけ、音楽分野で、チョンボをしたある放送局は、概して、懐疑的なコメントを、更には、科学者の批判的なコメントを中心に編集していたが、論文至上主義というか、論文無謬主義を前提にした議論であろうか。存在論を中心にするのであれば、次世代シークェンサー分析機でも使用して、理研に保存されていると云われている見本細胞を、何故、分析しないのであろうか?何とも、科学の門外漢には、分かりにくい議論である。第三者による客観的な証明という理屈、或いは論文の正当性という理屈は、分からないわけではない。その通りであろう。若手研究者の育成・管理という観点も、理解出来ないわけではない。それでも、今一、この問題では、何か、不可解な点が残る。改ざん、捏造という言葉は、随分と、辛辣な言葉である。そこに、どれ程の悪意があるのか、それとも、悪意ではなくても、ケアレスであっても、パワー・ポイントの写真の貼り違いなのか、それは、改ざん・捏造という範疇でしか、或いは、科学者の倫理という範疇では、そのように判断されざるを得ないものなのであろうか。論文主義と存在論という別の観点からの対立軸、そして、謂わば、若手の社員に均しいような一研究者の将来を、まるで、その管理職の庇護も応援もなく、ひたすら、魔女狩りの如く、論文至上・無謬主義という範疇で論じることで、本当に、科学の発展が、或いは、再生医療の発展を待ち望む患者に、実感されるのであろうか?更には、生き馬の目を抜くような厳しい競争の中にある生命科学分野での開発で、遅れを取るようなことは無いのであろうか?どうも、日本人は、又ぞろ、どこか、可笑しなところで、重箱の隅をつついているようなことはないのか?色々な課題が見えてくると云う。それも、科学の発展には、必要不可欠なことなのであろう。しかしながら、どうも、違和感を感じ得ないのは、何故なのであろうか?仮に、何処かに、本物のSTAP細胞が作成・保存されていて、それも、データや論文が不十分であった為に、科学的には、実証できないということになってしまったら、しかし、何年か後に、誰かが、作成に成功し、検証可能になったら、どうなるのであろうか?まるで、これは、科学会の袴田事件のようなものなのであろうか?二つの捏造と言う言葉が、検察の捏造と論文の捏造が、脳裏を駆け巡ることになる。正しくなければ、不正となり、それは、不正義であり、科学者倫理に、反することになるのであろう。そういう世界なのであるのかもしれない。もう少し、事態の推移を見なければ分からないのだろうか?真相は、既に、何処かにあるわけであろうが、、、、、、。どうも、奥歯にものが挟まったような会見で、ノウ・ハウの開示というものも、実際には、グレー・ゾーンと本物のノウ・ハウという秘密が、何処かで、重なっているのであろうか?それとも、200回も成功しているのは、単なるES細胞との取り違いだったのであろうか?こうなると、門外漢には、よく分からなくなってしまう。当分は、今後の推移を見守るしかないのであろうか?