小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

実に、色々な生き方があるものである!:

実に、色々な生き方があるものである!:

人生は、山頂を極めるのによく喩えられるが、つまり、その道は色々と異なるものの、最期は、登り詰めることには、変わらないのか、自分のことを考えてみると、もう、そんな道も、等に半ばを過ぎて、今や、頂上が、ほのかに、見えてくるような段階であろうか?そんな中、ここ一年、日本へやってくる海外ウーファーの皆さんをボランティアでサポートしていると、実に、色々な生き方が、若いのに、あるものであると感心しきりである。自分たちの若いときには、挫折して、或いは、高橋和己ではないが、憂鬱なる世代だったから、せいぜいが、書を棄てて、ドロップ・アウトを空想してみる程度であったのであろうか?フランス人の杜氏志望の彼氏も、どうやら、3ヶ月に亘る修行も、無事、終了したようで、留学中のフランス人留学生の彼女と一緒に、回転寿司を一緒に、ご苦労さん会で、食べに行くことにした。これからも、数年間は、日本を旅行したり、勉強したりしながら、色々な経験を積んで視たいと2人とも、その将来の豊富を生き生きと述べていたものである。何とも、羨ましい限りの「廻り道人生」である。何で、日本人は、こうした「寄り道や廻り道」をいつの頃から、止めてしまったのであろうか?とりわけ、若い人達には、、、、、。何も、非正規労働者に甘んじることなく、何年間は、このフランス人達や、その他の海外ウーファーの生き方をみていると、なかなか、興味深いものがある。日本の社会のシステム自体が、或いは、学校教育のシステム自体が、そういう生き方に、対応していないことが分かる。若い時の2-3年は、長い人生の中で、考えてみれば、そんな機械の「遊び」の役目を果たすような時期があっても宜しいのではないだろうか?自分には、もはや、そんな真似ごとすら、できないものの、これからの若い人は、もっと、自らの意思で、意図的な「廻り道人生」を「モラトリアム」とは別に、トライしてもらいたいものであるし、又、やってみるだけの自立した「心の余裕」があっても良いのではないだろうか?そんな感慨を抱いた。