小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

久しぶりに、郷ひろみとポールモーリアを聴く:

久しぶりに、郷ひろみとポールモーリアを聴く:

何の脈絡もない。強いて云えば、30年程前に聴いて曲だろうか?部屋の片隅のテープを保管している引き出しの中に、大量のミュージック・テープが、眠っている。その内の幾つかは、その昔、未だ、Window98の頃だったろうか、ラジカセから直接パソコンへ音楽を移行させる機械で、MP3形式か何かで、移行させ、CD-Rに焼き直して、今でも保管されているが、余りにも、多すぎたせいだろうか、未だ、移行されていないものが結構残されていた。郷ひろみが、「男の子、女の子」で、デビューした頃は、確か、私は、社会に出ていた頃で、流石に、これには、参ったなったぁ!と云った湯人の言葉を今でも想い起こす。随分と、郷ひろみも、あれから、同じように、齢を重ねたものである。哀愁のカサブランカとか、ケアレス・ウィスパー等の海外楽曲を、独自の歌詞と唄いっぷりで、あたかも、自分のオリジナルのような曲としたことは、おおいに、評価されて然るべきであろう。今や、シンガー・ソング・ライターが、主流であることを考えると、何とも、貴重な歌手である。子供の頃は、皆、若いポップスの歌手は、弘田三枝子も、中尾ミエ伊東ゆかりも園まりも、みんな、デビュー当時は、海外ポップスの日本版という触れ込みだった記憶があるが、、、、、。それにしても、懐かしいメロディーである。懐かしいと云えば、移行したポール・モーリアの所謂、イージー・リスニングの各曲も、なかなか、不滅であるあることが、再び、聴いても、了承されようか?耳優しいというか、バック・グラウンド・ミュージックとしても、優れもので、仕事をしながらも、読書をしていても、すぅーと耳から、心へと浸透してゆくような曲目である。そういえば、映画音楽とかいうジャンルも今や、絶滅危惧種なのであろうか?ラジカセで、再生した音楽を、ICレコーダーにマニュアルで録音して、それから、PCに、MP3で、転換してSDカードに移行させた割には、結構、役に立つものである。ついでにと云っては何であるが、懐かしいサイモンとガンファンクルも、移行させて聴いてみることにした。お蔵入りの再生である。ダウンロードや最近の忙しい耳に突き刺さるような曲は、どうも、年寄りには、厳しい。そう言えば、ラスベガスの砂漠の車中で聴きながら唄いまくった八代亜紀のテープもあったはずである。