小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「真実」とは、何処にあるのか?:

「真実」とは、何処にあるのか?:

何とも、佐村河内守事件と云い、STAP細胞の論文の問題と言い、文系の人間には、何とも、訳の分からないことばかりで、頼りとすべきメディアや専門家も、何やら、怪しげで、一体、何処に、「真実」というものは、存在するのかと、疑ってしまう。あつものに懲りてなますを吹くではないが、まずは、疑って止まないこと、或いは、アプローチの仕方も、自信を持ってすると謂うことは無なり、まずは、恐る恐る、本当なのかと、疑いながら、対応することが、肝要であるとも思い始めてしまうが、、、、、、。まるで、眼に見えない暗黒物質やヒックス粒子などのように、何処かに、「真実」というものが存在するのであるとすれば、それは、常に、第三者による検証作業というものを、客観的に、行われないと、ならないものであるのであろうか?(又しても、第三者委員会なるものが出てくるが、、、、、、、)すっかり、日本人は、自分も含めて、「真実という存在」への自信をすっかり無くしてしまったようである。あるべき、あるはずの「真実」とは、一体、何処にあるのであろうか?音楽とか、芸術とか、科学とか、真贋も含めて、「真実」とは、どのように、見極めたら良いのであろうか?長い迷路に入ってしまいそうである。週刊誌のキャッチ・コピーではないが、小保方さんは、科学界の佐村河内守なのであろうか?もう、門外漢には、よく分からなくなってしまった。当分の間は、音楽と科学に関しては、聞いたり読んだりするだけにして、コメントは、差し控えようかとも思うが、、、、、、せっかく明るくなり始めたと思えたのに、又、日本人は、縮みと内向きの兆候が出そうであるが、、、、、。