小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

浦和レッズに、レッド・カード!:

浦和レッズに、レッド・カード!:

一昔前には、サッカーの熱狂的な無謀なファンとして、「フーリガン」なる言葉が、一世を風靡していたが、いつのまにか、風の便りにも、聞こえてこなくなってしまったのは、FIFAによる徹底的な取り締まり勧告とマナーの向上策の強化が背後にあった為なのであろうか?いずれにせよ、ネオナチばりの民族排外主義者によるスポーツに名を借りた無謀な行為は、取り締まられて然るべきであろう。その延長線上で、考えてみれば、人種差別的な横断幕やスポーツ競技での類するような行為は、当然、万国に共通する、共有されるべき「スポーツ精神」に準拠して、浦和レッズへのJリーグによる厳しい処分は、当然であろう。とりわけ、オリンピックを想定しての海外アピールではあるとしても、こうした民族排外主義的な言動や行為は、ヘイト・スピーチも含めて、許されてはならないであろう。しかしながら、何故、一部の人間が、、、、とか、浦和レッズと言う団体が、何故に、自主的に、内部から、こうした動きに対して、対処できなかったのであろうか?或いは、サッカー・ファンの中からも、どうして、そうした声が盛り上がらずに、最終的には、Jリーグという上部団体の「お上の声」でしか、無観客試合と云う処分でしか、解決できなかったのか、私には、極めて、残念な結果である。出来なかったからこそ、Jリーグ主導で行われたのであると云ってしまえばそれまでであろうが、、、、、。民主主義とは云わないまでも、下からの自主的な理念に対するうねりとか、意識改革が盛り上がらない限り、形式主義的な形での処分、海外向けのアピールであって、日本人の中に巣喰う眼に見えない「真の内なる人種差別主義」との闘いは、どうしたものであろうかとも、思わざるを得ない。英断と云えば、英断であろうが、何故、上部団体の手を借りてまで、自らの手で、自主的に、抑えられない程、人種差別に寛容であったのであろうか?真剣に、プレーするアスリートこそ、良い迷惑であろう。一件、落着とは、云えないであろう。何も人種に限らず、「あらゆる差別主義」と闘わなければならないことは、云うまでもないことであろう。それは、スポーツの世界に限られたことではない。広く社会に蔓延する何とはなしに、忍び寄る「民族排外主義」とい見えない風潮と闘うことであることを教えてくれるが、どのようにこれを阻止したら良いのか、考えさせられる。