小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

10代選手の活躍に思う:

 

10代選手の活躍に思う:

 

どうやら、共通する点として、彼らは、「日本標準」というものを初めから、身体の中で、体感することを超越して、「世界標準」を、初めから、目指していたようである。成る程、本田宗一郎が、パタパタを世に送り出したときから、既に、「世界一への夢」を抱いていたように、10代のアスリート達も、最初から、世界標準を目指して、それに向けて、小さな頃から、外国の色々な人達の中で、揉まれて、アスリートとして、或いは、個人として、自我や、アイデンティティーに、目覚めて、狭小な島国根性を何処かで、払拭しなければ世界では戦えない、と思えたのであろうか?何も英語やドイツ語やイタリア語は、教科書や塾で、勉強するのではなくて、サッカーやゴルフやスノー・ボードを通じても、十分、身につけられることがこれからも分かろうか。外国に行けば、そういう共通の趣味で、会話も自ずと弾み、親しい友人も出来て、おおいに、面白いではないか?それにしても、スイスのナショナル選抜チームに、単独で、猛烈にネゴして、練習に参加させてくれとか、おまけに、ドイツ語も、現地で、マスターしたり、季節の違う南半球へ、度々、遠征したり、小さい子供の頃から、外国のメーカーとプロ契約したり、中学生や高校生でありながら、ご両親や道具メーカーが、間に立たれたとは想像に難くないが、それを割り引いても、なかなか、出来ないことである。そういう世界標準に合わせた生活つくりをしてしまうことこそ、或いは、そういう考え方・生活態度を出来ること自体が、素晴らしいことである。何か、そこには、「新しい日本人像」のようなものを感じざるを得ない。もともと、競技自体が、10代の柔軟な身体を生かせるものであったと言ってしまえばそれまでであろうが、ローザンヌ国際バレー・コンクールでの若い人達の活躍と云い、冬季オリンピックでの活躍と云い、そこには、何か、今後の日本人へ向けての「新たなヒント」になる要素が、潜んでいるように思われるが、、、、、、。若年層貧困問題とか、引きこもりとか、陰湿な虐めとか、全く、耳が汚れてしまうような日々の報道に、少しでも、耳濯ぎたくなるようなニュースで、嬉しくなってしまうが、そこには、「新しい日本人像」なるものが、芽生え始めているような気がしてならない。団塊の世代も、団塊ジュニアの世代も、これを良いお手本にして、「新しい生き方」を模索する必要があろう。4年後、或いは、10年後には、この人達は、どうなっているのであろうか?おおいに、愉しみである。