小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

官製春闘による賃上げはなるのか?:

 

官製春闘による賃上げはなるのか?:

 

新聞のコラムに掲載されていた従業員1000人以上の企業従業員の定期昇給分の春闘での賃上げは、私が、社会人として働き始めた1974年の春をピークにして、それ以来、オイルショックの狂乱物価、円高不況、阪神大震災リーマン・ショック東日本大震災、等と、全く、言い訳に事欠かないほど、坂道を転げ落ちるように、賃金が下がりっぱなしである。経済の好循環であるべき適正なお金の循環が、全くみられない。オレオレ詐欺の被害額とは、真逆に、下がりっぱなしで、上昇反転する気配がない。1989年の連合発足自体が、そもそも、労働運動の行き詰まりを象徴したようなもので、それ以来、非正規雇用労働者の雇用の問題や、待遇条件など賃金以前の問題が、顕在化してきてしまったし、安易に、経営者側も、諸外国とは反対に、同一労働への同一賃金の支払いを実施せずに、差別を助長する方向へと、向かって行ったのも事実であろう。それにしても、企業内組合というものも既に限界に達していようか?大企業と中小企業という二重構造に加えて、労働組合という少数の組織労働者と大多数の未組織労働者という不可思議な二重構造の中で、政府・労働・産業界の協議会なる政労和製・官製春闘という動きであるが、これは、とにかく、賃上げがされて、デフレの改善に寄与すれば、それはそれで、宜しいとでも云うのであろうか?お金は正直だから、好循環に廻れば、それなりに、経済の好転を促すことになるのであろうが、そんなことで、本当に労働運動は、果たして、良いのであろうか?私には、何とも、不可思議にしか、思われないし、それが、社会の中で、素直に、受け容れられるものなのであろうか?もっとも、賃金さえ、上がれば、とにかく、宜しいではないかという議論も、分からぬではないが、それ程、40年間も、考えてみれば、私がずっと働いていたときには、賃金は上がっていなかったと云うことである。そして、まさに、独立したときにも、一向に、景気は、良くならなかった訳であるが、その中でも、必死になって、自らの手で、自己責任で、帆に、風を受ける時期を見いだそうともがいていた訳である。しかし、独立自営の個人経営者は、それでも、自己責任で、リスクを負いながらも、自分で、報酬を決定することが出来た訳であるが、これが、組織の一員としての従業員であれば、そういうわけにもゆかぬものであることは間違いない。自分の力で、賃上げを決定できない労働者は、どうしたらよいのであろうか?何とも、景気のいい話ばかりが、先行して、本当に、労働者個々人の所にまで、お金が廻ってくるのは、いつの日になるのであろうか?