小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

節分の豆まきに涙す:

 

節分の豆まきに涙す:

 

節分の頃になると、亡き愛犬のことをどういう訳か、想い出す。我が愛犬は、保護犬であったから、その氏素性は分からない。頭の良い愛犬であったのは確かであるが、唯一、欠点と云えば、散歩の時に、必ずと行って良いほど、拾い食いをする癖である。小さい時から、散歩の際に、道に落ちているちり紙を加えて、素早く、くしゃくしゃと噛み砕き、呑み込んでしまう。金属製のチョークひもをグイグイと引っ張っては、首に、衝撃を与えると、立ち止まり、お座りで、一旦制止するが、その後、良しというと、再び、同じように、グイグイと引っ張ってゆく。女房殿に至っては、ちり紙を引っ張り出そうとして、口に手を入れて、ガブリと噛まれたこともある。まさに、飼い犬に噛まれる始末である。そんなこんなで、長じても、この悪食は、直ることなく、私は、氏素性が分からぬから、仕方ないと、匙を投げていたものである。そんな愛犬も、節分の日だけは、特別である。どういう訳かわからぬが、戸外に投げられた炒り豆が、大好きで、地べたに、警察犬の如く、鼻先を擦りつけながら、クンクンとかぎつけては、器用にも、長い舌をペロリと伸ばしては、平気で、ボリボリと貪り喰うのである。そんな愛犬も、亡くなる昨年には、外の散歩も困難になり、結局、特別に、炒り豆を買ってきて、手から、一粒一粒づつ与えると、美味しそうに、その味を噛みしめながら、愉しんで食べていたことが想い起こされる。炒り豆の香りが良いのであろうか、それとも、大豆イソフラボンが好きなのか、よく分からぬが、そんな愛犬も、残念ながら、今年の節分には、もういない。鬼は外、福は内という掛け声を聴くにつけて、そんな想い出が、我が胸に去来する。小諸のお墓には、炒り豆を供えてみることにするか、どうしているのであろうかと、、、、、、思うと涙が滲んでくる。ラミネートに加工された写真は、気持ちよさそうに、穏やかに、眠っている。