小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

再訪を終えて、親日と嫌日:ベトナム再訪 その10

 

再訪を終えて、親日嫌日ベトナム再訪 その10

 

短い期間であったが、仕事ではないので、気落ちは、楽かと思っていたが、タダ程、高いモノはないことを、帰国後知ることになる。それは、又、仕事を是非、手助けして貰いたいと言う要請である。いやはや、困ったことである。今度は、日本からの魚の輸出である。やるからには、責任と言う二文字が、頭をよぎる。今回、旧い友人達を含めて、下は、7才の子供達から、上は、同世代まで、幅広く、色々な人達の考え方を知り得たことは、おおいに、勉強になりました。又、興味を持っていた、ベトナムの人々の歴史認識親日感の理由とか、何故、反日をとらないのかなど、ベトナム戦争の回想も含めて、草の根の貴重な意見を聴くことが出来ました。とりわけ、ベトナム戦争時での世界各国の市民・学生による反戦運動ベトナム支援を高く評価し、その政府の誤った行動と反戦運動支援者とを「峻別」していること、(本音のところは、そう簡単には行かないが、建前としては、)即ち、国民と戦争を主導した政府とを、はっきりと、分けて考えること。これにより、あの憎むべき鬼畜アメリカをも、政府と国民を峻別して考え、これを国の外交国是として、掲げていること、従って、その延長線上には、エージェント・オレンジの被害の損害賠償の件でも、カンボジア進攻を理由とするアメリカによる損害賠償問題不履行をも、最優先特恵国待遇と云うことで、対米通商交渉の中で、前向きにしたたかに妥結して、民間レベルでの損害賠償支援という形で、合意を見つけ出す知恵を出したこと、又、日本に対しても、戦時中の抗仏活動をむしろ、支援した点を、南仏インドシナ進攻よりも、むしろ、自分にとって有利に解釈して、反日を前面に出さず、むしろ、対中国との軍事戦略的関係性の上から、敢えて戦略的に、反日政策は採らず、むしろ、親日政策を今日までも、採用するに至ったようである。何とも、私には、このベトナムという国は、自分の国の身の丈をしっかりと考えているように思えてならない。どうも、小国であると云う事をしっかりと、又、自覚しているようにも思えてならない。この国の人は、ひょっとしたら、中国の大国主義を笑い、日本の明治維新と戦後復興とに学びながら、自国の矛盾を自覚しながらも、どうやら、positiveに前進してゆくことを選択しているように思える。もちろん、そこには、数百万人という犠牲者の霊を決して忘れているわけではないが、、、、、、、。それを恨み辛みを持ち出して、何処かの国のように、子々孫々、千年も先の世でも、反日を或いは嫌日政策を、国是や、民族のアイデンティティーを喧伝する手段とする教育方針のような戦略とは、多分に、異なる柔軟な、且つ、したたかな、竹のようにしなやかな発想ではないかと、思われるくらいである。それは、タイ王室の誇りとも異なるし、インドネシアやマレーシアのイスラム現代化・近代化、更には、西洋化を目指すシンガポールとも、異なる独自の歩み、独自の考え方なのかも知れない。それが、南宋の時代に、逃げ延びてきて、国を興し、長い間、他国の植民地になり、民族解放闘争を戦い抜いてきた民族の究極の選択肢だったのかも知れない。丁度、日本と韓国・台湾のような関係の如く、ベトナムカンボジアラオスとの関係は、将来、似たような関係に、経済的に、発展してゆくことは間違いなさそうである。どうやら、そういう時代になりつつあるような気がしてならない。ASEAN諸国には、今日、ビザ無しで、自由に往き来でき、多いに、その便利さを享受しているのも現実である。ヒト・モノ・カネ・情報が、今や、国境を超えて、自由に移動しつつある新しい時代であることが、実感される。15年も前には、シクロが横行していたのに、今や、市中の中心街だけに限られ、しかも、観光用のみとなり、時代の移り変わりには、目を見張るものがある。この国の人々は、矛盾を感じつつも、亡くなった人達の分まで、幸せになる権利が、十分あるように、思えてならない。すぐに、日本人は、とりわけ、大新聞やマス・メディアは、矛盾をあげつらって、取り扱いがちであるが、それは、勿論、間違っているモノではない事実ではあるものの、それらを知ってか知らずか、メコンの大河の流れの如く、悠々と現在進行形で、アジアの隆盛という大きな変革の流れの中で、ゴミもろとも、押し流しつつあるように思われる。しかしながら、その押し流されたゴミという矛盾の行き着く先には、将来、大きなゴミの溜まり場が出来ることは間違い事実であろう。しかしながら、それを知りつつも、この国の人達は、現在という瞬間を、前向きに、未来を信じて、生き抜く術を知っているように、思えるし、又、きっと、知恵を出すことであろう。それに比べて、日本の非正規雇用従業員や精神を病んでいる若者は、一度、灼熱の太陽の下で、働いてみることを勧めてみたいものである。この現実を目の辺りにするだけでも、「刮目される」ことは間違いなさそうである。そうすれば、日本人にも、何か、「別の光明」が見えてくるような気もするが、如何なものであろうか?そんな感慨と共に、10日間に及ぶ3年ぶりの久しぶりの束の間のベトナム旅行を無事終えることが出来ました。それは、15年以上も前のベトナムとは、異なっていたし、あれ程、毎月出張していた時代のベトナムとも、携帯電話もなく、タクシーも少なかった時代のベトナムとは、全く別世界でした。帰り際に、何でも、お金を入れておくとそれが、将来、何百倍にも膨らむと言い伝えのあるベトナム帆船の模型をお土産に戴き、壊さぬように、持ち帰りました。又、テト旧正月用のカード、手で丁寧に鋏を使って、カットした開きカードも、戴きました。(これは、安くて、飾り物に、宜しいですね。)テト旧正月の飾り付けと、イルミネーションが、一時の矛盾をすべて、隠してしまうかの如く、豪華絢爛に、建物を、街路樹を、広場を飾っていました。何でも、年に1回の休みに、お手伝いさんは、北部の故郷の田舎に、1ヶ月の間、帰省するそうです。いよいよ、民族大移動が始まるそうです。そんな町を後に、又、寒い日本へ戻ることになりました。さぁ、又、今度は、日本から、魚の輸出のボランティアお手伝いである。それにしても、暖かい温泉で、疲れを癒やしたいところですね。