小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

旧い友人達とその子供達:ベトナム再訪 その6

 

旧い友人達とその子供達:ベトナム再訪 その6

 

自分ばかりでなく、旧いベトナム友人達にも、時間というものは、容赦なく、平等に、歳を重ねる。もう、20年以上の付き合いの勘定である。考えてみれば、彼らの多くが、当時は、結婚するか、しないか、或いは、既婚で、子供が小さかった頃のことだから、その子供が、もう、運転免許を取る年齢に達してもおかしくはない。共通の言語は、英語である。あるものは、当時は、通訳を通じたり、或いは、それ程、うまくなかったが、今日では、もう一人前に不自由なく会話している。私の旧い友人達は、世代的に云って、私と同じ世代の60代、私より一廻り若い50代の世代、或いは、2廻り若いアラフォー世代、こちらは、当時、大学を卒業して、2-3年経過したか、卒業間もない新入社員の頃の人間である。そして、それらが、今日、子供達の世代に、バトン・タッチされようとしている。彼らの大半は、そのほとんどが、大学出で有り、大きな国営企業に就職していたり、ロシアに、留学していた経験を有する人達である。従って、やっと、ドイモイの政策が浸透し始めた頃に、英語を使って、貿易を、とりわけ、輸出奨励策の波に乗って、必要とされる人材育成がなされた世代でもある。それは、丁度、ソ連や東欧への留学から、西欧への留学に切り替わる過渡期での出来事だったのかも知れない。その意味では、みんな、ある種のエリートだったのかも知れない。あるものは、会社の指示で、英語を学び、あるものは、自らが私費で、英語を学んだりと、様々である。しかしながら、共通するのは、いずれも、英語という外国語が共通語である。当時は、日本での作業工程詳細をビデオに録画して、これを持ち込み、細かい作業指示書を、まずは、私が、日本語から、英語に翻訳して、これをベトナム語に、翻訳すると同時に、ビデオを見せながら、実地に、技術的なノウハウを教えるという作業が必要であった。(もっとも、今も、そうかも知れないが)従って、我々は、互いに、その作業を実地に、頭だけではなくて、身体で、まず、理解しなければならなかったわけで、お互いに、そのコミュニケーションが密でなければならなかったし、その為に、互いの性格や考え方が、合致していなければならなかった訳である。謂わば、仕事も大切だったが、それ以上に、ビジネスマン以前の同じ一人間としての人格の尊重が、基礎になければそんなにも長い間、続かなかったのかも知れない。それが、今度は、子供の世代に、いよいよ、バトン・タッチである。彼らの子供達は、ほとんどが、高校や大学は、海外、とりわけ、日本だったり、米国や豪州やシンガポールで、勉強している。去年、小諸に来た子供達も、皆、英語が話せたので、会話に苦労することはなかったのである。しかも、最近では、FBや、ツイッターで、LINESKYPEで、いつでも何処でも、会話できるわけだから、全く、笑ってしまいます。今回も、SKYPEのビデオ・チャットで、アメリカに留学している娘さんと、日本語を勉強しているので、英語と日本語のチャンポンで、両親共々、再会・挨拶することが出来ました。古い友人達は、一様に、ベトナムの教育システムに懐疑的・否定的で、かれらの子供達を海外留学に、意図的に出している。むろん奨学金を申し込んでの話であるが、金持ちは、全額自分持ちで、その必要がないものの、なかなか、そういう訳にもゆかないとは云っていた。昔、台湾の人が、子供をアメリカに留学させて、その後、日本の語学学校に、留学させて、英語と日本語の両方を勉強させ、更に、日本で、日本食の調理師の養成学校に、通わせて、料理までも、勉強させ、自分の経営する食品工場へ、この後に、就職することにさせたそうであるが、なかなか、面白い計画的な人生「教育方針」である。これからの日本人は、誠に大変である!こうした人達と世界で、競争して行かなければならないのであるから、、、、、、、、。金持ちと貧乏人の格差のために、ベトナムでも、「教育の格差」が生まれ始めているそうである。そして、家庭教師をつけて、学校が終わると、ピアノ、英会話、お稽古事など、子供も、ストレスを抱えていると云っていた。もう、5-6才の頃から、外人と英語で話し、日本食を食べて、大きくなっていったら、どういう人間に育ってゆくのであろうか?逆に、ベトナム語を教えて貰いながら、遊びましたが、昔覚えた、「私は、、、、、です、何才ですか? これは何ですか? 私はこれが好きです、」等、ベトナム語・基礎会話から、なかなか、抜け出せませんでした。やはり、体系的に、そこに住んで、言語は勉強しなければ駄目なのでしょう。未来に向かって、矛盾を感じていても、希望を持って、この国の人達は、何事にも、とても、POSITIVE である。未来に向かって、ベトナムの子供達は、大きくなったら、どんな大人に育ってゆくのであろうか?結婚式には、呼んでもらう約束をしましたが、その時まで、こちらが、長生きしているであろうか、心配である。それにしても、この国の人は、マイナス要素すら、前向きに、未来に向かって、POSITIVEに考える人々である。何か、暗い冬の時代に、どんよりとした曇り空で、気持まで滅入ってしまう日本人とは異なり、南国特有の真っ赤な大きな太陽をみながら、おおらかに、且つ、元気に未来に向かって、生きようとする姿をみて、考えさせられてしまう。

 

 

 

旧い友人達とその子供達:ベトナム再訪 その6

 

自分ばかりでなく、旧いベトナム友人達にも、時間というものは、容赦なく、平等に、歳を重ねる。もう、20年以上の付き合いの勘定である。考えてみれば、彼らの多くが、当時は、結婚するか、しないか、或いは、既婚で、子供が小さかった頃のことだから、その子供が、もう、運転免許を取る年齢に達してもおかしくはない。共通の言語は、英語である。あるものは、当時は、通訳を通じたり、或いは、それ程、うまくなかったが、今日では、もう一人前に不自由なく会話している。私の旧い友人達は、世代的に云って、私と同じ世代の60代、私より一廻り若い50代の世代、或いは、2廻り若いアラフォー世代、こちらは、当時、大学を卒業して、2-3年経過したか、卒業間もない新入社員の頃の人間である。そして、それらが、今日、子供達の世代に、バトン・タッチされようとしている。彼らの大半は、そのほとんどが、大学出で有り、大きな国営企業に就職していたり、ロシアに、留学していた経験を有する人達である。従って、やっと、ドイモイの政策が浸透し始めた頃に、英語を使って、貿易を、とりわけ、輸出奨励策の波に乗って、必要とされる人材育成がなされた世代でもある。それは、丁度、ソ連や東欧への留学から、西欧への留学に切り替わる過渡期での出来事だったのかも知れない。その意味では、みんな、ある種のエリートだったのかも知れない。あるものは、会社の指示で、英語を学び、あるものは、自らが私費で、英語を学んだりと、様々である。しかしながら、共通するのは、いずれも、英語という外国語が共通語である。当時は、日本での作業工程詳細をビデオに録画して、これを持ち込み、細かい作業指示書を、まずは、私が、日本語から、英語に翻訳して、これをベトナム語に、翻訳すると同時に、ビデオを見せながら、実地に、技術的なノウハウを教えるという作業が必要であった。(もっとも、今も、そうかも知れないが)従って、我々は、互いに、その作業を実地に、頭だけではなくて、身体で、まず、理解しなければならなかったわけで、お互いに、そのコミュニケーションが密でなければならなかったし、その為に、互いの性格や考え方が、合致していなければならなかった訳である。謂わば、仕事も大切だったが、それ以上に、ビジネスマン以前の同じ一人間としての人格の尊重が、基礎になければそんなにも長い間、続かなかったのかも知れない。それが、今度は、子供の世代に、いよいよ、バトン・タッチである。彼らの子供達は、ほとんどが、高校や大学は、海外、とりわけ、日本だったり、米国や豪州やシンガポールで、勉強している。去年、小諸に来た子供達も、皆、英語が話せたので、会話に苦労することはなかったのである。しかも、最近では、FBや、ツイッターで、LINESKYPEで、いつでも何処でも、会話できるわけだから、全く、笑ってしまいます。今回も、SKYPEのビデオ・チャットで、アメリカに留学している娘さんと、日本語を勉強しているので、英語と日本語のチャンポンで、両親共々、再会・挨拶することが出来ました。古い友人達は、一様に、ベトナムの教育システムに懐疑的・否定的で、かれらの子供達を海外留学に、意図的に出している。むろん奨学金を申し込んでの話であるが、金持ちは、全額自分持ちで、その必要がないものの、なかなか、そういう訳にもゆかないとは云っていた。昔、台湾の人が、子供をアメリカに留学させて、その後、日本の語学学校に、留学させて、英語と日本語の両方を勉強させ、更に、日本で、日本食の調理師の養成学校に、通わせて、料理までも、勉強させ、自分の経営する食品工場へ、この後に、就職することにさせたそうであるが、なかなか、面白い計画的な人生「教育方針」である。これからの日本人は、誠に大変である!こうした人達と世界で、競争して行かなければならないのであるから、、、、、、、、。金持ちと貧乏人の格差のために、ベトナムでも、「教育の格差」が生まれ始めているそうである。そして、家庭教師をつけて、学校が終わると、ピアノ、英会話、お稽古事など、子供も、ストレスを抱えていると云っていた。もう、5-6才の頃から、外人と英語で話し、日本食を食べて、大きくなっていったら、どういう人間に育ってゆくのであろうか?逆に、ベトナム語を教えて貰いながら、遊びましたが、昔覚えた、「私は、、、、、です、何才ですか? これは何ですか? 私はこれが好きです、」等、ベトナム語・基礎会話から、なかなか、抜け出せませんでした。やはり、体系的に、そこに住んで、言語は勉強しなければ駄目なのでしょう。未来に向かって、矛盾を感じていても、希望を持って、この国の人達は、何事にも、とても、POSITIVE である。未来に向かって、ベトナムの子供達は、大きくなったら、どんな大人に育ってゆくのであろうか?結婚式には、呼んでもらう約束をしましたが、その時まで、こちらが、長生きしているであろうか、心配である。それにしても、この国の人は、マイナス要素すら、前向きに、未来に向かって、POSITIVEに考える人々である。何か、暗い冬の時代に、どんよりとした曇り空で、気持まで滅入ってしまう日本人とは異なり、南国特有の真っ赤な大きな太陽をみながら、おおらかに、且つ、元気に未来に向かって、生きようとする姿をみて、考えさせられてしまう。