小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

クチ・トンネルで思う:ベトナム再訪 その4

 

クチ・トンネルで思う:ベトナム再訪 その4

 

HCMCから、昔は、随分と時間が掛かった記憶が残っていたものの、道幅が、当時の3倍程になったせいか、市街地を抜けると車のスピードが大幅に早くなる。それでも、小一時間ほど以上は要しただろうか、もう終園間近だったこともあり、観光客は、我々と数名ほどしか、残っていない。土産物屋も、飲み物売り場も、午後5時目前なのに、何故か、店じまいの準備である。ガイドの係員も、今頃、遅くに来やがってと言うような感じで、説明に廻った。英語の看板で、ルールの説明を確認して、出発である。アメリカ軍の投下した大きな爆弾のクレーターは、直径10メートルもあろうか、こんな爆弾を空の上から、無数に落とされたら、逃げるどころの話ではなかろう。おまけに、ナパーム弾みたいに、周囲の空気までを一挙に、火焔地獄に陥れるようなものであれば、尚更、一層、逃げる暇など有りはしないだろう。それにしても、よく、こんなモグラの穴のようなトンネルを、無数に、地下3階ほどの深さまで、よく構築したものである。中には、川底へ、繋がるように掘ったものも、展示されている。しかも、アメリカ兵では、体格が大きすぎて、小さな細いトンネルには、つかえてしまい、入り込めないそうである。今日では、観光用に、やや大きめの入り口が、掘られているものの、説明によれば、本来のトンネルは、細くて、小さいものだそうである。それが、落ち葉でカモフラージュされていたり、狙撃手用のシロアリの巣のような形をした、地上から、一寸だけ、顔を出したトーチカから、打たれたり、或いは、ジャングルの道なき道に、仕掛けられた無数の落とし穴やトラップでは、前にも、後ろにも、進めないではないか。そんなものが、そこここに有り、知らないうちに、敵の陣地に踏み込んで、ぐるりと周りを囲まれたりしたら、たまったモノではない!トンネルの中には、将校の作戦室や、負傷兵を介護する施設や、兵隊が寝泊まりしたり休憩したりしたハンモックや、炊事室、或いは、米軍のパラシュートを活用したカモフラージュ用カッパや、戦利品の水筒やら、例のホーチミン・サンダルとか、女性兵士の人形やら、当時の戦闘下での生活が、分かりやすく、説明されている。それにしても、炊事場などの煙は、説明によれば、3段や4段構えで、フィルターを嚼ましながら、徐々に、煙を薄くして行き、或いは、四方へ分散散らすことで、まるで、朝のもやっとした霧のようにジャングルの中に漂わせ、ヘリコプターの上空からみても、分からないように、工夫したそうである。

 

私は、このトンネルをみていて、実に、日本人として、ベトナム人を羨ましく思わざるを得なかった。何故ならば、我々、日本人も、それ程遠くない時代に、同じような戦術で、アメリカ軍を苦しめた事例があることである。しかしながら、残念なことに、そこには、極めて、大きな違いが見られることも又、事実であろう。それは、沖縄での闘いや、その前のIOUJIMA(硫黄島)の闘いである。換言すれば、ベトナムでの闘いが、そのトンネル作戦が、ディエンビエンフーの時もそうであったように、又、ベトナム戦争の時も、又、ボー・グエンザッップ参謀による抗仏戦争勝利、ベトナム戦争勝利という輝かしい民族独立戦勝のシンボルだからであり、逆に、日本では、それが、悲惨な、無謀な専守防御による単なる人命損失と抗戦持続の時間稼ぎたけであり、失われた命の代償は、今日までも、正当に、評価されていないという全く相反する構図であることであろう。硫黄島の守備隊が、戦略的・戦術的に、軍事的に、劣っていたわけはないが、余りにも、戦況の違いは、明々白々であろう。残念乍ら、日本人は、今日、沖縄の洞窟や、硫黄島を決して、観光施設として、考えられないし、どうしても、一種の慰霊の施設としてしか、考えられない。それは、真珠湾で、撃沈された軍艦を慰霊施設、戦意高揚のシンボルとして、記念館にしたアメリカと、似ていないこともないが、それでも、戦勝国と敗戦国という大きな違いは、免れないことは事実であろう。その意味で、私は、このトンネルの中で、民族徳利を勝ち得た誇りを強い調子で語る係の人間を、日本人として、実に、羨ましく思った次第である。翻って考えるときに、日本人がそうであったように、一体、ドイツ人は、どのように、民族の誇りを復興させ、維持し、ナチスの亡霊から、新しい戦後ドイツを、或いは、東西ドイツを統一するに至ったのであろうか?戦争博物館でも、クチのベトコンのトンネルでも、誇らしく、民族の独立と解放を果たした人々の素直な喜びに対して、一体、日本人は、どのような施設が、あるのであろうか?少なくとも、社会党も今日の民主党も、或いは、公明党も、自民党も、すべて、靖国神社に対する新たな戦死者を祀る施設、同じような想いで、祖国の防衛に準じて逝った人々の気持ちを、同じ日本人として、共有出来るような新しい価値観を有した論理と、そして、国際的にも、アジア諸国からも、成る程、流石に、日本であると云う施設、記念碑が、一日も早く、実現されることを願いたいものである。資金も、装備も劣っていたベトコンは、一生懸命に、知恵を出し合って、ジャングルの中で、罠を作り、落とし穴を掘り、トンネルを掘りながら、「知恵」を出したのではないだろうか?日本人は、もはや、こんなアリのようなトンネルで、戦えるとも思えないが、「知恵」を出すと謂うことは、恐らく、可能なのではないだろうか?昔、この施設の近くには、大きな山のようなコンクリートに、戦死者や戦争犠牲者の顔写真を石板に写したものが、所狭しと無数に飾られていたが、今や、そこには、綺麗な立派な屋根付きの慰霊施設と五重塔が、多くの蝋燭と線香と一緒に、飾られ、建てられていた。この国では、誠に、戦没者が、敬われ、尊崇の念で、祀られていることを羨ましく思う。私の戦死した両叔父達は、一体、どこで、慰霊されているのであろうか?残念乍ら、私は、自分の心の中でしか、追悼する場所がないのが現実である。

 

明日は、ちょっと、仕事のアドバイスである。