小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

 

新築記念式典参加:ベトナム再訪 その3

 

昔、今から、15年程前に、一緒に仕事をしていた当時、まだ、水産大学を卒業し立ての彼女が、新任の工場長をしていた頃のことである。あれから、彼女は、工場長を首になり、韓国の会社を含めて、現地の何社を渡り歩いた末に、自分で、水産物の輸出入会社を立ち上げ、アラブや韓国・ロシアやアメリカを股に掛けて飛び歩いている女性経営者の一人である。それにしても、日本の会社の工場のお披露目式典以外は、大体、結婚式の披露宴なども、時間通りに出掛けると、誰もいなくて、日時を間違ったのかとも思ってしまうほど、誠に、時間におおらかである。敵もさることながら、招待する方も、又、される方も、互いに、阿吽の呼吸で、時間には、ルーズである。落成式典だからと背広とネクタイなどを着けているのは、私と、招待する側のお父さんくらいで、エジプトから来たという客などは、Tシャツにジーンズには、参ってしまう。結局、時間がたっぷりあったので、部屋を隅々に、案内されて、それでも、時間があったので、フット・マーサージへ、韓国の客と一緒に、時間を潰す羽目になった。それにしても、久しぶりに韓国語を片言・三言、話したものである。結構、想い出すものである。ブロークンでも、外国で、自国の言葉を外人に受け答えして貰えれば、少しは、気が紛れるモノではないだろうか?いやはや、それにしても、白亜の豪邸、5階建ての、お城のように、青や赤のサーチライトで、玄関入り口の守衛室の階段の所から、浮かび上がっていた。それでも、未だ、突貫工事で、一部、間に合わなかった箇所を工事しているのには、参ってしまう。急な階段だから、こちらは、勘弁願って、エレベーターで、最上階まで、案内して貰った。最上階は、見晴らしが良く、夜景を見ながら、広い屋根付きの屋外ジャクジに浸かりながら、ビールが飲めるように、広いカラオケ・ルームには、チャンと、ミニ・バーが併設されていた。勿論、部屋の真ん中には、シャンデリアが設えられていた。その5階から、1階まで、併設されている事務所も含めて、2-3階は、事務所用に、外階段で、直接、出入室できるように、職住近接に設計されている。とにかく、落成式当日でも、どういう訳か、トイレットペーパーもなくて、こういうことを予想して、トイレットペーパーを何枚か、女性は、持ち歩かなければ駄目であろう。それにしても、招待されていながら、申し訳ないが、少々戴けない金権趣味である。これ程までに、そんなに、金ぴかなものが好みなのか?そえは、後に、夕飯に呼ばれたペインドクターの女医さんの私邸を訪問したときに、こちらは、随分とシックなアンティークな家具を趣味としていたお宅だったから、そういう風に、感じられたのかも知れない。人間の私邸の雰囲気というものは、どうやら、その人間の趣味や考え方を多分に、反映したものから知れない。急激な、しかも、一挙に吹き出た繁栄の結果が、この見上げるような白亜の建物を、作り上げたのであろうか?これを見上げる嘗ての同僚も、近所の人達も、どのような感慨で、見上げていたのであろうか?自分も、こんな風に成功したいと思うのか、それとも、ここまですることはないだろうと思うのか?なかなか、古い友人達の意見は、別れるところであった。もっとも、共通し意見は、ここまですることはないであろうに、、、、と言うところであった。同じ成功者仲間でも、意見の分かれるところであった。羨望とねたみ、昔は、同じ立場だったのに、、、、、、という感慨は、15年という時間を、どのように考えたら良いのであろうか?確かに、この国でも、依然として、富めるものと富めないものとの格差は、実際にあることも事実であるし、ますます、その差は、拡がるばかりなのかも知れない。個人の努力を既に、超えてしまったところにまで、来てしまったのだろうか?英語が話せたから、あんなに、下手くそだったのに、今では、私とも、物怖じせずに、英語で、会話しているし、バイヤーともやり合っている。貿易に関わっていたから?或いは、生産現場で、勉強できたから、、、、、、、???何が、この成功へ、導いたのであろうか?本人のたゆまぬ努力の賜物なのか?落成式には、真っ先に、恩人の一人として、日本人を代表して、過分なお言葉を戴き、紹介までされ、おまけに、テープ・カットのセレモニーにまで、加えて貰いました。過分な光栄です。どうも、若い時に、失敗したら、個性が少々強すぎた方が、後に、成功する確率が高いような気がしてなりません。性格の良い人の方が、それなりにしか、ならないのかも知れません。何故か、そんな気がしてなりません。この国をみていて、海外と何らかの接点があること、外国語を話したり、これを通じて、何かを学んだり出来る環境にあること、そして、勉強家であることと、少々、我が儘な性格で、どちらかというと頑固なタイプ、そして、若い時に、外国人で、影響を与える関係者がいること、家庭での理解者がいること、どうも、この国の旧い友人達をみていると、そんな要素が、共通にあげられます。それは、丁度、幕末から、明治期に掛けて、大きな変革を乗り切ってきたような人達にも、どこか、共通するものがあるのかも知れません。しかしながら、この国でも又、戦争で命を失った数多くの有為の人達がいたことは事実で、可能性というものは、結局、亡くなってしまえば、可能性が永遠に奪われてしまうわけで、考えてみれば、成功にも、失敗にも、そもそも、その土俵自体に上がれなくなってしまう非情なものなのでしょう。成功と繁栄と落差、一方で、インフラは、すごい勢いで、一般道路が、高速道路が、昔、2車線だったのが、6車線になっていたり、道幅が、立ち退きで、一挙に、倍に拡がったりと、繁栄の裏では、汚職が拡がり、病巣が、拡がりつつあるのが現実であると古い友人達は、口々に、云うものの、政府の反汚職キャンペーンや罰則強化政策だけでは、解決し得ないことも十分知っているようである。しかしながら、そうした矛盾が、今でも、認知されているにも拘わらず、繁栄と成功の方が、その秤の重さを、繁栄を採る方を選ばざるを得ないのが現状であるし、そちらを選ばざる得ないことに、多少、矛盾を感じていても、違和感を打ち消して余りある成功と繁栄をもたらしている何かがあるのかも知れない。日本人が考えている繁栄と成功の矛盾よりも、かれらは、現実的に、矛盾はさておいて、後で考えることを選択せざるを得なかったのかも知れません。それが、何十年という民族独立戦争を繰り返してきた民族が選んだ道なのかも知れないし、軽々しく、日本人は、それを否定していては、全く、理解出来ないのかも知れないでしょう。様々な話題の中で、頭の良い人達は、頭では、矛盾を理解していても、現実の繁栄が、すべての矛盾を、まるで、茶褐色によどんだメコンの大河がすべてのゴミをゆっくりと押し流して行くようにも、感じられてなりません。それが、道路の半分の片面を、更には、両隣2件づつのお隣さんの玄関先まで、1テーブル10名の席のあるテーブルが、30テーブル余りも、並べられた落成式の宴会で、成功のお裾分けという名目で、ご近所さまにも、分け与えることになっているのであろうか?そして、受け取る側も、礼を言わずに、有り難うと受け取っているのでありましょうか?プロの歌手やダンサーの踊りも、招待客によるお祝いの歌や踊りも、すべて、矛盾と共に、かき消され、壇上を見上げる子供のあどけない驚きと羨望の眼差しが、何故か、私には、席から眺めながら、目に焼き付いていました。三々五々、十分酒と料理を堪能した人々は、お礼を告げては、皆、別れてゆきました。このあどけない子供が大きくなる頃には、ベトナムは、どのように変容して行くのでしょうか?そして、この白亜のお城のような家は、20年後、30年後には、どうなっているのでしょうか?私は、恐らく観ることは出来ないでしょうが、子供達に、その行く末を託したいと思います。

 

明日は、ベトコンで有名なクチのトンネルへ、、、、、、。