小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

運び屋の任務完了す:ベトナム再訪その1

 

運び屋の任務完了す:ベトナム再訪その1

 

正月休みが過ぎているにも拘わらず、全席満席での成田からベトナム、HCMCへのフライトである。おまけに、成田空港の免税店でしか購入できないという生チョコを大量に、購入して持参してくれと言う謂わば、運び屋の役目も負わされた旅である。それにしても、ロイスの生チョコ、しかも、緑茶の限定版である。これを50箱とは、、、、、とにかく、現地で、入手困難なものは、お金の問題ではないと云うことであろう。代金は、現地で、精算するから、とにかく、買って持ってきてくれと、複数の友人に依頼されているとのことである。去年、来日したときも、帰国に際して、買って帰ったのであるから、おいしさは、保証付のものなのであろう。それにしても、化粧品とか、食品とか、お菓子とか、これらも含めて、海外の旅行者には、免税の特典と与えてあげなければ、観光立国が泣くというものである。何でも、店員の説明では、100箱も一人で、買っていた人もあるとかで、@650円・箱としても、大変な買い物である。日本人ばかりでなく、結構、ベトナム人が、飛行機に乗っているものである。10年以上も前には、考えられないくらいである。テト、旧正月を故国で、過ごそうという人が多いのだろうか?とにかく、日本のことを気に入ってしまって、今年も又、日本にやってきたいと云っているそうである。実に有難いことである。観光とは、一種の「草の根外交」でもあると信じるが、、、、、、、、。家族全体が、或いは、友人全体が、丸ごと、日本贔屓となり、それが、雪だるま式に膨れてくれれば、これ程、有難い強い味方はないであろう。逆を考えると恐ろしくもなるが、、、、、、、。そんなこんなで、空港到着後、とにかく、依頼されたすべての土産を早速、空港で、手渡し、まずは、ひと仕事完了である。当日は、市内の高層ビルの51階にあるレストランで、ホステスである旧い友人による当方夫婦との会食に招待される。それにしても、昔の市内の面影は、古い建物や、懐かしいホテルなど以外は、再開発で、瀟洒な高層ビルが、林立し、しかも、ライトアップで、きらびやかに、飾られ、サイゴン・リバー川岸も、全く、上から眺める限り、随分と、変わったものである。昔は、海底トンネルも建設途中で、そこここで、交通渋滞がひどかったし、その喧騒と埃には、随分と悩まされたものであるが、それが、今や、車とバイクのヘッド・ライトの流れが、静かに、51階のガラス越しに、整然と流れてゆく。ベトナム戦争当時は、この地上の交差点で、テト攻勢の時に、凄惨な市街戦が繰り返されたとは、信じがたいものがある。昔通った関係した会社の建物は、見事に、テナント・ビルに変容して、ネオンライトの光線を大空に向かって、幾筋も、放している。それすら、この高層ビルから見下ろしていると、今や、低層のビルになりはてているではないか、、、、、、。こんなに、十数年もの短い間に、急いで、どうするんだという思いがするものの、それは、日本人の独りよがりなのであろうか?富める者から、先に、富めばよいということに、違和感を感じないのは、それ程までに、過去、何十年と戦争に翻弄された民族にしか、分からない感慨なのかも知れない。何故、そんなに、急がなければならないのか?何故、そんに、急激な劇的な変容を急がなければならないのか?これが、私の抱いている最初の彼らに対する思いである。日本人の私ですら、そういう違和感がある。ましてや、私と同世代のベトナム戦争時に、若かった世代の人は、どのように感じているのであろうか?これは、又、別の同世代の友人にでも、尋ねてみようかとも思っているが、若い世代は、別に、違和感は多少は持つものの、むろん、富める者とそうでない者、或いは、格差に違和感を抱きつつも、それ以上に、自らの成功と能力と今、手にしている富の結果に、自信と満足感というものを抱いているようである。それ程、生まれたときが、ベトナム戦争下であったりした今のベトナムのアラフォー世代、或いは、ドイモイ開放政策後に、生まれてきた世代には、やはり、世代間格差が、すでに、そのスピード感という点では、あるように思えてならない。むろん、彼らは、政治的な開放度や、選挙・デモの制限、汚職や腐敗に対しては、疑問と反感を持っているものの、未だ、発展途上では、それらを打ち消してしまうほどの力のほうが、大きいのが現実のようである。矛盾を自覚しつつも、まだ、どうしたらよいかが分からないような状態であろうか?インターネットのWi-Fi度合いに、反比例するかのように、思えてならない。どこでも、誰もが、スマホタブロイドで、忙しそうに、ご飯を食べているときも、仕事の連絡・指示を出している。現状では、未だに、発展途上では、矛盾を内包しつつも、それらの負のマイナスを補って余りある正のプラス面の方が優っているのではなかろうか、それ程、これまでのマイナスが、繁栄から取り残されてきた負の側面が大きすぎたことにもよるのかも知れない。そんなに、急いでどうするのかという私の疑念は、どうやら、日本人の恵まれたこれまでの事情か、或いは、戦争を経験した両親の世代に似ていて、私達のような第二次大戦後生まれの私達の世代の感慨とは、やや趣を異にするのかも知れない。繁栄を戦争のために、手にし得なかった親や祖父母の世代の分まで、自分たちが、何か、取り戻したい、急いで、できる限り、多くを手にしたいという感慨なのかも知れない。そして、それを、今度は、子供達への教育という投資に、廻し始めているようである。それは、台湾の人もそうであったが、まずは、日本で、日本語を勉強させ、技術を身につけさせ、その後、アメリカで、英語と商売を、最期に、台湾に、戻って、親の商売を継がせる長期的な構想の下で、海外留学させるというのと同じである。もう二カ国語を話せるなどと云うのは、これから、当たり前で、3カ国語を繰れなければ、駄目かも知れない。これからの日本の若い人達は、大変である。こうした人達と競争してゆかなければならないのであるから、、、、、、。日本人は、どうしたよいのであろうか?全く、考え込んでしまいますね!すごい勢いで、富んで行く人達と、その中で、取り残されて行く人達、そして、そのバランスが、その矛盾が、徐々に、顕在化して行くとみに、その先に、何が、待ち受けているのであろうか?彼らに、貴方たちが、この調子で、10年後に、なったときに、どのようになるのかと尋ねてみるものの、笑っているだけである。日本という国は、面白い国である。バブルも知っているし、バブルの破裂も、両方とも経験している世界でも希有の国であろう。その意味で、右肩上がりだけしか、知らないこの国の人達は、未だに、給料も、前年比、7%~10%アップの傾向であるらしいが、確かに、所得倍増ではないが、10年後には、どうなるのであろうか?又、カンボジアラオスに進出して行くのであろうか?それが、資本主義の宿命であろうが、、、、、、、、。その時、ベトナムは、何処へ辿り着くのであろうか?そして、その時には、日本は、どうなっているのであろうか?そんな会話を交わしながら、眺める高層ビルからの眺めは、地上の現実的な矛盾とは、別次元での眺めであった。そして、明日は、そんな思いを抱きつつ、戦争博物館10数年ぶりの再訪である。