小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

反日・靖国という麻薬と新しい価値観:

 

反日・靖国という麻薬と新しい価値観:

 

もう40年以上も前の友人の祥月命日に、安倍首相が、靖国参拝を強行したというニュースが入ってきた。米国ですら、失望という強い声明を出さざるを得ないほど、況んや、中国や韓国の反応をやであるが、、、、、、、。それにしても、当然事前に詳細な反応に対する計算と準備をシミュレーションしていたのであろうが、とりわけ、米国からは、千鳥ヶ淵の無名戦没者墓地への献花の提案を否定されたと思ったのかどうかは、わからぬが、靖国神社に祀られているA級戦犯の合祀の問題を解決することなく、戦勝国秩序への挑戦として、受け止められてしまうのであろうか?それにしても、中国・韓国による自国の国内政治的経済的な矛盾を、相変わらず、愛国主義やら、反日教育で、狭小な排外主義へと目をそらすようなやり方には、それぞれの国のマスコミも含めて、困ったものであるが、日本でも、度重なる謝罪とお詫びの声明にも拘わらず、一向に、埒が明かず、結局、個人的な信念と支持者へのリップ・サービスから、「ナショナリズムという同じ土俵」の上で、闘うことを選んだことは、誠に遺憾なことであろう。相手が焦れて、矛盾が爆発するのを待っているのであれば、或いは、これ以上に悪化しないとたかをくくっているのであれば、徹底的に、持久戦に訴えるしか他に手はなかろう。そうではなくて、チャイナ+の戦略を徹底的に推し進めるのであれば、中国は、ユニクロだけ(?)に任せて、後は、みんな撤退すれば宜しいのではないだろうか?仮に、そうしたことが、短期的に可能であればであるが、、、、、。投下した資本も回収されず、それこそ、日本人駐在員、従業員も、出国できずに、人質に取られて、、、、、、。それにしても、どの国にとっても、全く、メリットが全くない戦略・戦術であろう。知恵がなさ過ぎる!戦争で尊い命を捧げた人の霊を追悼することを、これも又、日本軍国主義への礼賛としてまで、かの国々は、反対するのであろうか?もし、そうであるとするならば、それこそ、永遠に、千年経っても、歴史認識は、お互いに、語ることは出来ないであろう。草の根の民間外交である「観光・食文化」を通じて、日本へ滞在したり、或いは逆に、こちらが、彼の地へ旅行しても、互いに、戦争したがる気持ちがあるわけがないことは、納得しようが、、、、、。反日が、彼の地で、ポピュリズムに、容易に、高揚しやすいのと同じく、日本でも、今や、嫌中・嫌韓感情が、大衆受けしやすい素地が醸成されつつある。戦後60年余経過しても、中国・韓国・日本には、インドのガンジーや、マンデラのような思想的・哲学的な指導者が現れないのであろうか?私は、最近、歴史の中で、現れては、消えていったアジア主義の系譜が、不幸にして、今日、全く、裁ち切られ、新左翼新右翼も、ましてや、新保守主義者の中にすら、新しい価値観を確立し得てないのは、何故であろうかと思い巡らさざるを得ない。何故出来得ないのであろうか?戦後民主主義を否定し、止揚しようとした我が世代も、残念乍ら、若い時にも「憂鬱な世代」として、新しい価値観を創出しようと戦い続けたものであるが、残念乍ら、新しい地平を切り開くような国際的にも共有出来るような日本の価値観を樹立することなく、齢を重ねて来てしまったのが実情であろう。一体いつになれば、この混迷する現代に新しい時代をリードするような価値観の創出とうねりが芽生えるのであろうか?年末年始をゆっくりと、休みながら、一寸、考察でもしてみることにしましょうか?年明けには、ベトナムで、旧い友人達に、招待旅行で、再会出来そうであるので、しばし、異国から、日本を眺めることにしてみます。しばし、一休みします。