小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

堤清二の死とその時代の終わり:

 

堤清二の死とその時代の終わり:

 

未だ、学生の頃であったが、確か、何かの非公式の限られた勉強会か、何かで、構造改革派の当時論客であった安東仁兵衛が、友人である堤清二をスピーカーとして、連れてくるとかで、友人と駆けつけた想い出がある。その頃は、西武グループの小売り部門を率いていて、商品を販売するのではなくて、新しい文化的なイメージと、ライフ・スタイルと言う考え方を敢えて、若い世代も含めた世の中に、提起しようとしていたその姿勢に、或いは、辻井喬と言うペンネームでの詩人としての側面も、面白い二重人格のような感じがして、とても、興味深かったことを懐かしく、想い起こす。数十年後に、まさか、西武グループが、鉄道本体も含めて、みんな破綻してしまった時には、一体どうなってしまったのかと、ショックを覚えた程である。糸井による「おいしい生活」などのキャッチ・コピーを採用するだけでなく、当時としては、パルコも、渋谷の文化村やら、モノを販売する上でのコンセプトや先進的な哲学も含めた販売方式も、何か、頭を打たれてしまったものである。「無印」というノン・ブランドを、ブランドとして、育てる手法とか、不動産やデベロッパーも含めて、幅広い分野で、「文化的な臭いがする」コンセプトを提供し続けてきたような気がする。若い時の父親や弟の確執から、政治的な活動への傾注は、ある種、理解出来なくもないが、何か、こういうタイプの経営者は、もはや、時代自身が、生み出す背景がなくなってしまったような気がしてならない。こういう種類の文化的な、或いは、哲学的なオーナー型の経営者は、もう、出てこないのかも知れない。どうも、ユニクロの柳井や楽天の三木谷には、そういう「文化・哲学」は、感じられないように思うが、、、、、、、。況んや、ホリエモンをやである。