小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

クラーク博士とホィット・フィールド船長に思う:

 

クラーク博士とホィット・フィールド船長に思う:

 

何でも、札幌農学校に僅か8ヶ月余りしか、赴任しなかったクラーク博士は、例の「八重の桜」に登場する新島襄が、その留学先であったマサチューセッツ州のアマースト大学の学長で、はるばる日本からやってきた明治新政府の派遣要請団の説得に応えて、50歳のこの老人は、はるばると、太平洋を越えて、札幌まで、やってきた訳である。それにしても、何故、この後、帰国後、9年余で、亡くなってしまう老人が、別れ際に言ったと伝えられている言葉は、実に、興味深い。一説によれば、それは、Boys, Be ambitious like this old man であり、又、一説によれば、Boys, be ambitious in Christ(God) でもあると、、、、、、。要するに、我が教え子の少年達よ!はかなき名声を求め野心を燃やすことなく、この老人の如く、人間の本来の(キリスト教的な)本分を尽くすべく、大志を抱け、元気でな!と、一人一人と握手した後、馬上から、別れの言葉を発して、颯爽として、馬の腹を蹴って走り去ったと、、、、、。それにしても、南北戦争に志願参戦して、戦場で、数多くの教え子が戦死した後で、この老人は、何故、日本の果ても果て、しかも、当時未だ、未開拓な雪深い蝦夷地へと、何が、駆り立てたのであろうか?実に、不可思議なことに、戊辰戦争の時代にも、旧幕府軍と共に、フランスの外国士官なども、一緒に、函館に渡っているが、お雇い外国士官とか、お雇い外人教師とかと言う言葉では、到底、理解し得ないようなモチベーションが、当時、一体、何処にあったのであろうか?今の人間の年齢になぞらえれば、定年退職前頃の人間が、まるで、アフリカの僻地へと赴任を進んで行うかの如きものであろうか?それにしても、奇しくも、同じ年に、高知で生まれた中浜万次郎は、同じマサチューセッツ州のフェァーヘブンで、救助して貰ったウィリアム・ホィットフィールド船長の厚意により、英語のみならず、海洋学、航海術、その他を学ぶ機会を与えられ、その後の日本初の英語通訳者ならぬ、当時の事実上の裏外交官のような役割を、同じ時期に、担うことになったのは、ひとえに、クラーク博士にもホィットフィールド船長にも、キリスト教的な国籍・年齢・境遇を超越した自由・平等の共通意識が、当時の人には、あったのであろうか?それにしても、今日、グローバル化が進行して、何処にでも、自由に、自分の意思で、外国にも行けるにも拘わらず、未だに、自分自身の狭小な世界に閉じこもって、like this old man にせよ、 in Christ(God) にせよ、Be ambitious と、自信を持って、叫ぶことの出来ない老人が、自分を含めて、何と今日でも、多いことか?本当は、この言葉は、今や、少年達にでは無くて、老人達、団塊の世代に対しても、発せられなければならないのではないだろうか、

 

Old men, Be ambitious !

 

老人達よ、大志を抱け。

 

Be ambitious not for money or selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame.

 

金や利己心を求める大志ではなく、名声というつかの間のものを求める大志でもない。

 

Be ambitious for that attainment of all that a man ought to be.

 

人としてあるべき全てのものを求める大志を抱け

 

 

 

、、、、、、、、、とも、解釈すべきだろうか?