小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

映画、「そして、父になる」を観る:

 

映画、「そして、父になる」を観る:

 

是枝裕和監督による脚本であるから、原作の沖縄の「歪められた絆」とは、展開も、内容も異なることが、この映画だけからだと、分からないかもしれないし、それは、それで、逆に、監督の考えるエンディングに、沿っているのかも知れない。見方は、観る側の側によって、その立ち位置によって、映画の見方が、瑞雲と異なるものになるのかも知れない。血脈を大切に考えるのか、一緒に過ごしてきた共有する短くても、その子供にとっては、人生のすべてである時間を大切にするのかという究極の選択に対する答えとは、何か?暗示的なエンディングではあるものの、その観客の立ち位置によっては、随分と、色々と考えさせられることになる。昔は、子供のない家に、家系の相続のために、養子縁組や、里子・里親は、そんなに、珍しいことではなかった。実際、父方の祖母は、自分の子供を里子に、3歳の時に、出しているが、どんな気持だったのであろうか?犬や猫ではあるまいし、(もっとも、犬猫でも、駄目だと、作中、云われてしまっているが)人間の子供である以上、取り違いや、故意の犯罪でも、関係者には、当の子供本人も含めて、大変な精神的な影響を及ぼすことになる。野鳥の世界では、カッコウの托卵ではないが、親を欺いて、雛鳥を育てさせることが本能であるが、人間は、そういうものでもなさそうである。中国残留孤児ではないが、余程の戦争という極限での選択でない限り、育ての親と生みの親の葛藤も、今日では、稀な話であろう。むしろ、この仕事中心の失敗をしたことがないエリート・サラリーマンと、一寸、粗野で、生活に困っている個人商店主夫婦という構図や、対照的な父親像、異なる男親像のアンチ・テーゼ、一見似てはいなさそうである母親同士のある種の共感、男親には理解出来ない、生みの母同士の共感、夏八木勲演じる老親爺や風吹ジュン演じる義母との過去の確執、互いの夫婦間での価値観の微妙な相違、そんな中で言葉を発さない、ピエール瀧演じる看護師の夫や、樹木希林演じる義理の母親の物言い、國村肇演じる上司の奇策の物言い他、デジカメに記録された何気ない父親や母親の画像、父の日に作られたバラの工作物、お風呂場での他愛ないお遊び、エンディングでの暗示的なシーン、もう既に、30数余年も前の時間を巻き戻させられるような感慨である。そう言えば、長女が誕生した日の朝も、芝浦の屠殺場に、仕事の関係上で、行かざるを得ず、しかも、屠殺場で、廃ホルスタインが、屠殺されて、腹を裂かれて子牛が出てきたその時間帯に、長女が、誕生したという経験をいつも、誕生日には、想い起こす。もっとも、その1週間後には、海外出張で、平気で、家を空けていたわけであるから、「そして、父になる」と言うタイトルは、何とも、重たい響きを感じざるを得ない。それは、まるで、「そして、夫婦になる」とか、「そして、家族になる」とは、何かと、鋭く、改めて、問われているように思われるのは、この映画を観賞した私一人だけの感慨であろうか?まだまだ、修行がありません!帰ってきたら、明日は、「結婚記念日ですよ!」と言われ、「ハッと」したが、時既に、遅しであった。明日は、何の日ですか?と聴いてくれれば分かるものを、、、、、、、、。まるで、刑事の尋問のようである。