小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

誤表記と不当表記と偽装との狭間:

 

誤表記と不当表記と偽装との狭間:

 

食品業界に、少しでも関わったことのある人間であれば、黒ムツとメロの違い、或いは、テラピアといずみ鯛の表記の違いくらいは、十分熟知しているであろうし、そういう違いも知らずに、仕入れや調理をしているシェフが、仮にいるとしたら、そのホテルは、一体、何なのであろうか?組織が大きすぎるとか、横の部署間の連携がとれていないとか、モラル・ハザードだとか、そんな類の問題ではないであろう。もっと、根源的なところで、何処か、狂っているとしか云いようがない。「未必の故意」、と言う言葉や、「不作為」と言う言葉は、法律上の解釈であっても、その当人の頭をかち割って、本当に、騙そうとした意図があったのか、なかったのかとメスを入れるわけにも行かないのが、残念乍ら、現状である。だからこそ、刑事罰による詐欺罪の立証や偽装の立証は、難しいわけであって、最終的には、ひとえに、個々人の個人的な「職業的な倫理観」にある程度、委ねられるという前提のもと、成り立っているところがないわけでは無い。そう考えると、「不当競争防止法」やら、「不当景品表示法」などによる刑事罰の強化とは別に、確かに、誤表記、とか、不当表示とかは、まるで、何処かの謝罪記者会見同様に、いつも、故意ではないが、業界の慣習に従って、誤った表示が、表記され続けていたという、謂わば、故意に、騙す意図は全くなかったものの、結果的には、信頼を裏切ってしまったなどと、それによる不当な利益を上げてきたことは差し置いて、自らの「不作為」を論う結果になっているのではないだろうか?今の世の中は、既に、何処かの一流芸能人と三流芸能人のグルメ見極め・格付け番組ではないが、自分の舌に自信を持って「味覚」に基づいて、判断するのではなくて、表記と称する「ある種の情報」で、判定することに、我々は、もはや、慣らされているとしか云いようがない。この「情報のお墨付き」に、過度に、依頼しすぎて、自らの以て備えられし本能的な「味覚」、とりわけ、「本物を味わう」という味覚文化が、何処かへ、消え去られそうになっているのではないだろうか?それは、丁度、本物の焼きプリンが、子供にとって、「お母さん、このプリン、焦げているよ!いつものプリンじゃないよ」というのと違いはないのではなかろうか?食を提供する側のモラルも、それはそれで、問題であるが、勿論、本当に消費者だけが、すべて、正しく、無謬性を常に、保っているのであろうか?そう言えば、昔、台湾へ出張したときに、初めて、味の素の使用されていない台湾料理を出されて、違いが、分からず、唖然とした経験があったことを想い起こす。何でも、使用していると、食べ終えた後、舌の感覚が、痺れるそうであると、、、、、、、、。それが、理解出来ないほど、小さい頃から、しっかりと、味の素の「味覚」に洗脳されし続けてきた私の舌は、既に、痺れきっていたのかも知れない。食材もさることながら、今度は、添加物なども、どうなるのであろうか???? 考えてみれば、情報に頼り切った味覚は、食に限らず、文化でも、同じなのではないだろうか?グルメでなくて良かった。因みに、私は、海老アレルギーなので、残念ながら、芝エビの海老チリソースは、食べられませんし、勿論、バナメイ海老も、ですが、、、、、。蛇足でした。(苦笑)