小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

追悼、天野祐吉:

 

=追悼、天野祐吉

 

何とも、残念なことである。もう、軽妙洒脱な批評を読めないとは、残念極まりない。折に触れて、CM天気図のコラムを愉しんできたのに、、、、、、、。広告を一つの批評として、世相を大胆に斬りながら、読み解くという手法を確立したことは、成る程、面白いものであろう。郷里の松山の子規記念博物館の名誉館長を務められていたことは、よく知らなかったが、確かに、絵本やら、俳句や文学など、幅広い知識と蘊蓄の中では、当然なライフワーク活動の一環だったのかも知れない。コラムや広告批評から、醸し出されるところの「まったり」とした雰囲気は、その風貌とも相俟って、誠に、穏やかながら、キリッとした切り口をオブラートに包んでいるようである。談志やタケシの毒を含んだ一種独特のアクのある毒舌長の批評ではない。むしろ、同じような鋭い切り口を有していても、それが、真っ正面から、ストレートには、表に出てこないそんな感じであろうか?CMというものは、確かに、コマーシャル・メッセージであるから、送り手の考えていることと、受け手である視聴者側での受け取り方というものを考えたときに、そこには、ある種、こう理解して貰いたい、こうして貰いたい物であるという願望とは言わぬが、こうあって貰いたいという強い、或いは、今日では、それすらも、隠したような、意図的に、露骨に出さないような手法も、取り入れられているのではなかろうか?モノを売ると言うのではなくて、TPOによるシーンを売るような、或いは、その雰囲気を理解して貰った上に、購買に至るという、更には、モノが売れなくても、その企業イメージが、視聴者に、何らかの形で、伝わって貰いたいと願いつつ、CMが作られ、伝播されるのであろうか?その意味からすれば、子供の頃から、或いは、生まれてから、ずっと、CMの中で育ってきたような人間達は、一体、どのような影響下にいることになるのであろうか?小学校の授業などでも、宿題に、今日は、何々のCMを見たうえで、その感想を述べて下さい式の作文を、書いて貰った方が、そして、お父さん、お母さんと一緒に、無料携帯オンラインゲームのCMを考えるという方が、面白いのではないかと思うが、如何なものでしょうか?どうやら、軽妙洒脱というモノは、一朝一夕には、完成されないモノで、やはり、色々な分野を勉強して、体験して、専門性も極めながら、その専門性に、埋没することなく、鋭い切り口を、まるで、懐に隠し持った匕首のように、オブラートに包みながら、品格を醸し出しながら、培って行くものなのでしょうか?ブログの中で、「一寸気になるCM」と言う文章を、今後も、続けていきたいものです。