小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

米国デフォルトの危惧とティー・パーティー:

 

米国デフォルトの危惧とティー・パーティー:

 

一体、民主・共和、どちらの言い分が、正しくて、どの情報が楽観視し過ぎていて、或いは、どの情況分析が間違っているのか、最終期限を前にして、一向に、先が見えてこない。国民皆保険制度が、当たり前になっている今日の日本では、今更ながら、オバマ・ケアーの目指す方向性に、何故に、反対し、共和党の保守派を自認するティー・パーティーが主張する弱者の分までも、何故、自分が負担しなければならないのかという理屈は、なかなか、理解しがたいものがある。その延長線上で、連邦予算を人質にして、期限ギリギリまで、債務の上限の引き上げに、反対するという戦術は、何処かの国で、つい先頃まで、経験したような気がしないでもない。それにしても、民主主義というものは、複雑怪奇、厄介な代物である。報道によると、デフォルトの状態も、実際には、まだ、その段階でもなく、実質的には、まだ、これから、先になる可能性もあるとか、、、、、一体、全体、どの情報を信じれば宜しいのであろうか?既に、欧州系の格付け会社は、米国債を格下げしたにもかかわらず、肝心の米国系格付け会社各社は、さすがに、まだ、二の足を踏んでいるようである。これまで、散々、アイルランドやギリシャの財政危機を声高に、論じてきていた張本人達が、本家本元の自国のデフォトの危惧と可能性に関して、むやみに、格下げするわけにも行かないのであろうか?それにしても、政争の具と化してしまったかのような米国議会を見ていると、この先、米国という国は、どこへ向かって行くのであろうかと、その影響力の大きさに、心理的に、不安に陥るのが、マーケットの常であろう。今や、経済システムは、何処かの遠い国で、クシャミをしても、それが、巡り巡って、必ず、いずれは、或いは、即時、影響を及ぼすのが、現代のグローバルな国際的な経済・金融システムである。ここ一両日、どういう展開を見せるのか、週末を前にして、目が離せない。もっとも、どうやら、回避されたようであるが、次回の山場は、115日、27日と、次から次へと先送りで、頭が麻痺してきてしまいそうである。それにしても、日本は、一人、笑ってみていられる立場でもないが、、、、。マーケットは、そういうことも、又、織り込み済みなのであろうか?個人の価値観と国家観との狭間で、結局連邦政府職員と弱者は、板挟みに遭うという危惧が常に存在する「自由もある」と言うことが、民主主義なのであろうか?