小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

上田合戦、「真田幸村公出陣ねぷた祭り」を観る:

 

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上田合戦、「真田幸村公出陣ねぷた祭り」を観る:

 

私が、まだ、小学生だった頃に、自宅に下宿していた青森出身の大学生さんが、地元に戻って実家の旅館を継いだので、後年、学生時代に、「青森のねぶた祭り」を亡き父と一緒に、観に行ったことがあることを想い出す。「ねぶた」と「ねぷた」の違いは、前者が、戦勝時と大型の立体型で、人形型に対して、後者は、出陣時で、扇型、鏡絵と見送り絵(正面と裏面)であるそうです。青森のねぶたが、伝統的な専門的な匠によって製作されているのに対して、どうやら、真田のそれは、中学生の美術部が描いたり、絵師が、製作したりと、まだまだ、その歴史は、これからではあるものの、少年スポーツ団や地域の自治会やら、職場単位であったり、相当な組織的な底辺の拡がりと可能性があるように思われる。春の上田城千本桜祭りや秋のケヤキ紅葉祭りに加えて、夏祭りと位置づけられるのであろうか?とりわけ、若い人達の参加が多く、真田祭りとは、やや、趣を異にするものの、歴史的な伝統を有する真田鉄砲隊の実演やら、真田陣太鼓など、更には、甲冑武者行列や大名行列を模したものや、真田おもてなし隊やその他の地域のおもてなし隊なども、併せて、参加するなどの工夫が凝らされていた。やや、大河ドラマの誘致を意識しての街をあげての署名活動など、若干鼻持ちならないところも感じられないことはないが、まぁ、それもよしとしようではないか?上田という街は、やはり、真田一族の栄光と歴史の厳しい処断を、今日でも、観光資源を重要な中核要素として、季節に応じて、徹底的に活用して行こうとする戦略であることに間違いなさそうである。真田幸隆・昌隆・幸村(信幸)という真田一族の三代の系譜が、脈々と連綿として、今日まで、地域・郷土の誇りとして、会津のような「敗者の誇り」としてではなく、むしろ、徳川という「勝者を斥けたという誇り」として、受け継がれていることは、驚くべきことである。それにしても、パフォーマンス広場でも、次々に、繰り広げられた踊りやダンス、とりわけ、青木村の「壁塗り踊り」(これは、実にユーモラスで、面白い)や、地元ローカル・アイドルグループのダンス(めじゃーでなくても、ちゃんと、それとおぼしきオタクの応援団が最前列で応援してくれているのは実に在りがたいものである。)や、外国のヒップ・ホップばりの曲に、盆踊りさながらのニュー・ウェーブな着物を着飾った女性グループによる踊りには、何とも、驚かされた。うまく、曲のイメージとリズムに、三味線をアレンジして、しかも、これに、着物でも踊れるようなスローな振り付けを施して、曲に合わせて踊るとは???こんな風なことが可能であれば、外国へ、もっと、売り込んでみたら宜しいのではないだろうか?きっと、人気を博すことは間違いないのではなかろうかとも思われるが、、、、、、。大変驚くと共に、一体、これを主宰している振り付け師は、どんな経歴なのであろうか?こんな所にも、真田の心意気が受け継がれているのだろうか?午前中の雨も何とかあがり、今にも降りそうな雲り空ではあったものの、ひどい雨にならず、良かったですね。なかなか、上田市の祭りのノウハウは、大したものである。今後に、期待が持てそうである。