小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

映画「少年H」を夫婦で観る:

 

映画「少年H」を夫婦で観る:

 

特に、水谷豊のファンでもなければ、ましてや、その妻である伊藤蘭のファンであるわけでもない。勿論、キャンディーズのファンでもない。ただ、一寸、降旗康男監督の作品だから、気になってしまったのか、それとも、宮崎駿監督の「風立ちぬ」が、どうも、その世間一般の評判とは裏腹に、一寸、その描き方に、違和感を覚えてしまった為なのか、或いは、米国流の「終戦のエンペラー」を観ることを躊躇ってしまった為なのか?なかなか、確たる説明がつかぬまま、結局、この映画を観る選択をしてしまったことになる。原作や、アニメやドラマの内容とは、若干異なる描き方や人物像ではあるものの、或いは、山中恒による原作への批判とは別にしても、私の従兄弟達の一番年上か、一番若い叔父達が、丁度、主人公達と同じ世代に当たる頃の物語である。確かに、未来から、当時を振り返ることは、一定の歴史的判断と事実に即してみれば、本当に、そんな反戦的な心情で、皇国少年達が、家庭の中でも、クリスチャンの一家の中でも、生き延びることが出来たのかは、作品上での存在であって、果たして、本当に自伝的なものであったのかは、判断がつき兼ねるものの、(そうであろうかとは思うが)少年が戦後に発する叫びに近い、「この戦争は、何だったのか?」という自問の言葉は、そっくりそのまま、当時の大人達の戦後に於ける変節と、それでも尚、飢餓の中で家族を守り、生き抜かなければならなかったその時代に対して、明らかに、鋭い刃を突きつけているような気がしてなりません。それは、同時に、いつも正しかったであろう父母に対しても、同様な問いかけだったのかも知れない。エピソードとして、登場する、結局は、病弱の母を残して自殺してしまったオトコ姉ちゃんや、非合法活動で警察に検挙されるうどんやの赤盤の兄ちゃん、クリスチャンの米国人宣教師からの絵はがき、或いは、クリスチャンへの迫害、教練での軍人・退役軍人・教師・上級生や同級生等、神戸の外人居留地やユダヤ人難民の話、疎開の別れ、神戸の大空襲による、花火のように思えた焼夷弾の雨霰と焦土と化した自宅や焼け野原と、象徴的に描かれた焼けただれたミシンの残骸、そして、戦後の闇市の風景、白米のおにぎり、傷痍軍人、大人達の変容、等、世代により、この映画の受け止め方は、それぞれ、様々な思いではなかろうか?意外と、お年寄り客が、数多く、観賞していたことに驚きました。それにしても、沖縄戦では、少年兵が、最前線で、戦死の憂き目に遭ったのに対して、本土決戦に至らず、この少年達は、死なずに済んだことは、歴史の皮肉であろうか、それとも、必然だったのか?毎年、この熱い夏の時期は、原爆・戦争を考える季節である。観る者、各世代毎に、この作品に対する評価は、様々かも知れない。この家族には、直接的な戦争被害者は、幸いにして、描かれていないが、我が両親の兄弟、姉妹、親族らの被害に思いを巡らせるとと、胸が熱くなるのを禁じ得ない。