小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

地下サブ・カルチャー観賞は、不評でした:

 

地下サブ・カルチャー観賞は、不評でした:

旧いベトナム人3家族、総勢10人の来日アテンドで、都内観光の第二日目である。浅草、銀座、そして、秋葉原の観光で、とりわけ、秋葉原では、日本の地下サブ・カルチャーの観賞を、試みるも、どうやら、不評に終わってしまった。それも、確かに、この異様な雰囲気の中での腹の底まで染み渡るような重低音の音と、ステージからの甲高い金切り声と、それに共鳴するかのような踊りとこだまする呼応では、無理からぬところであろうか、マスクを被ることで、一種独特のエネルギーとカオスが、そこには、派生するもので、それが、まるで、波濤のように、押し迫ってくる。おまけに、ゴムボートに乗っかったジャンヌダルクさながらのアイドルは、まるで、人々の頭の上をスイスイと担がれながら、回遊し始める。自分の贔屓筋のアイドルのシンボル・カラーのライトを右手に、一本、中には、数本握って居るものもして、それが、激しく、シュプレヒコールに呼応するかのように、ステージと会場を往き来する。アリス十番のステージが終了すると、その谷町筋の若者は、引き上げる代わりに、今度は、どっと、新手のスチーム・ガールの応援部隊が入場、交錯する。それにしても、すごいエネルギーである。えぇじゃないか、えぇじゃないかの社会現象とは、こんな感じのエネルギーだったのではないかとも、想像に難くない。文化の光と陰は、まるで、オーセンティックな文化が、光とすれば、こうしたアングラのサブ・カルチャーは、影の部分なのかも知れない。それにしても、秋葉原という電気街は、フィギュアー、メイド・カフェ、コスチューム文化といい、アングラのアイドル応援といい、何とも、不可解なサブ・カルチャーが、次々に、生み出されて行くものである。まだまだ、ある種、日本という国は、エネルギーが、地下水脈のような形で、あるものであると変に、感心してしまう。結局、私だけが、一人だけ、最後まで、観賞させて戴いたのであるが、何とも、皮肉な結果になったものである。田嶋健司の「大津絵の版画展」のほうは、残念乍ら、祝・祭日は、お休みだとかで、折角出掛けて行ったものの、見られず、残念な結果になってしまった。どこかで、観られないものだろうか?それにしても、よくぞ、歩いた物である。約16000歩、10キロキロ歩き、汗もよくかいたものである。リハビリには、最適である。