小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

子供の貧困対策法成立に考える:

 

子供の貧困対策法成立に考える:

 

私が、子供の頃は、概して、みんな貧乏であったから、綿のジャンパーを着ていても、何とも思わなかったが、やがて、友達の親爺さんが多分東レの部長だった関係からか、一人だけ、ナイロンのジャンパーを着てきたときに、成る程、世の中は、こういうことなのかと、或いは、当時観音扉で有名だった自動車会社の重役の友達の家に、遊びにゆくと、決まって、おやつ時になると、お手伝いさんが、プリンなるものを悪童の人数分用意してくれたときにも、こういうものなのかとも、子供心に、何かを感じたものである。それでも、決して、それ程、卑屈に貧乏であるなどとは、感じたことはなかったし、一緒に学び、よく遊んだものであるし、今日のように、「世代間連鎖」までに、発展することなどなかったような気がするが、、、、、。父の時代などには、昔は、母子家庭であれ、父子家庭であれ、徴兵による軍隊という最終的な逃避行が、許され(?)ていたこともあり、又、親の実家や親戚家族が、何とかして、支援しようとする地域コミュニティーの暗黙の共生・救済支援システムのようなものが存在したものの、今日では、全く、そうしたものは、完全に崩壊してしまっているのが現実である。6人に1人までもが、平均的な所得の半分に満たない世帯では、とりわけ、一人親の家庭では、半数以上が貧困家庭であるとは、、、、、、改めて、その現実の数字に唖然とせざるを得ない。もっとも、具体策に繋がる「解決策の提示」や、具体的な貧困率の「改善数値目標」が示されない限り、みんなで、頑張りましょう的なそんな精神的な風潮では、この法案の行き着く先も知れていよう。まして、これが、世代を超えて、連鎖していくようでは、何らの問題の解決に寄与しないであろう。母子家庭であった父は、貧困家庭であったかも知れないが、少なくとも、私の世代には、決して、連鎖はしなかったが、何が、今と違っていたのであろうか?勤勉だったからなのだろうか、それとも、中学卒でも、学歴がなくても、勉強家だったからなのか、或いは、時代の先を読む眼が備わっていたのか?現実に困っている人を救うこと、支援することも政治の課題ではあるが、そのメカニズムを解明するのも社会学者達の使命であろう。どうも、対症療法だけの議論で、貧困対策も生活保護至急の問題もそうであるが、「根本的なメカニズムの解明」が一向に、なされていないような気がしてならないのは、私だけであろうか?現代の大塚久雄丸山真男は、何故、出てこないのであろうか?