小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

沖縄慰霊の日に、「平和の詩」を読む:

 

沖縄慰霊の日に、「平和の詩」を読む:

 

623日の沖縄全戦没者追悼式典で、与那国町立久保良小学校1年生の安里有生(あさと・ゆうき)君6歳が朗読したその詩の全文が、信濃毎日新聞に載っていたので、何気なしに、目にとまった。「へいわってすてきだね」から始まる短い詩である。毎年、この日に読み上げられる政府関係者や沖縄知事からのメッセージよりも、子供達によるメッセージの方が、どういう訳か、心に響いてくるのは、どうしたものであろうか?

 

(参考までに、下記、一部、抜粋します):

 

へいわってなにかな?

 

ぼくはかんがえたよ。・・・・・・・

 

やさしいこころがにじになる。・・・・・

 

みんなのころこから、へいわがうまれるんだ。・・・・・・・

 

あぁ、ぼくはへいわなときにうまれてよかったよ。

 

このへいわがずっとつづいてほしい。・・・・・

 

へいわってすてきだね。

 

これからも、ずっとへいわがつづくように、

 

ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

 

 

 

詳しい選考の履歴は不明であるが、恐らく、親族の中に、戦没者がいらっしゃることは、間違いないであろうが、この少年の心の中に宿る「平和への思い」は、間違いなく、沖縄戦で亡くなられた人々、或いは、太平洋戦争で亡くなられたすべての戦没者・遺族の思いをまさに代弁していることは間違いないでしょう。美しい与那国島の自然の中で、こうして、育まれた貴重な少年の心が、最後に、力強く、意思表明した「ぼくのできることからがんばるよ」という言葉には、もう、一人前の大人の決意表明が込められているのではないだろうか?こういう気持を有する少年が、社会の中で、「絶滅危惧種」のような扱いをされないように、大人は、共に、その大切な志しを、育んであげたいものであるし、それこそが、大人の勤めではないだろうか?全文をもう一度、読み返すと、涙が溢れてきます。