小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

ケーナを作ってみる:

 

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ケーナを作ってみる:

 

何でも、ケーナに見せられてから42年もの歳月が流れてしまったという。しかも、縁あって、望月の長者原に電気も水道もない所から小屋を整備し始めて、現在は、豊かな暮らしを営んでいるそうである。そういう東出五國先生に、指導されて、竹に穴をあけてもらい、ケーナなる笛を手作りした上に、自分で、吹いてみる。そして、その上、自らが率いるグルーポ、シンコバイス(五国のスペイン語から)なるラテン・ミュージックのグループによるフォルクローレの演奏曲目も、珈琲を飲みながら、間近で、聴くというワークショップである。更に、この先生は、ただただ、好きで、4万人以上の人の似顔絵を、長年に亘って、描き続けて、家には、4千本にも及ぶ自ら製作したケーナ笛のコレクションと共に、絵画帳が、山のように、保管されているそうである。その量にも、圧倒されるが、その似顔絵の作品も、この展覧会で、陽の目を見ることになったらしい。「好きこそ、ものの上手なれ」とは、よく言ったものである。似顔絵、ケーナ、フォルクローレ、年齢というものを感じさせない、アートとは、本当に、「心の持ちよう」なのかも知れない。奥方が、マネージャーならぬサポートに、陰から廻りながら、夫唱婦随(?)で、だからこそ、長い間、こうして、やってこれたのかも知れない。それにしても、尺八ではないが、竹の笛というのは、横笛でも、縦笛でも、なかなか、趣の深い音色である。もっとも、ケーナのそれは、低音から、高音まで、如何にもラテン的なある意味、楽天的でありながら、しかし、時に、もの悲しく、寂しい、時に、太鼓やギターとのハーモニーの中で、リズミカルに、軽快に、心軽くなるような響きである。全く、楽器音痴の門外漢の私には、そんな音色に、思えてならない。そして、「山羊の爪」で出来た手でリズムをシャンシャンととる楽器や、さやエンドウ豆のお化けのような乾燥した、中で、種がシャリシャリと音を出す楽器や、様々な付随楽器(名前を伺ったが、覚えられない)が登場して、「コンドルが飛んで行く」等、ラテン・ミュージックのレパートリーを観客と一緒に、手拍子と共に、一緒に時間を忘れて、愉しめたことは、実に、老若男女を問わず、愉快なことである。最後に、先生から、ケーナ笛の吹き方、とりわけ、音の出し方をご教授戴いたが、なかなか、これが、楽器音痴の私としては、辛いものがあり、帰宅してから、自己レッスンの後、やっと、音が出るようになった。楽器が弾けるようになれば、さぞかし、愉しいことであろう。毎朝、レッスンに励むとするか?茶房、「読書の森」で、20日迄、「笛吹きおじさんのどうらく展」の名で開催中で、出来るだけご本人がいらっしゃるそうです。勿論、希望する方は、似顔絵を描いてもらえるそうです。