小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

想い出と共に、生きる:

 

想い出と共に、生きる:

 

東京の太陽光発電の工事の最終検査に立ち会わなければいけないので、女房殿は、バスで、帰って行ったが、一人、家に戻ると、寂ばく感に襲われる。急に広くなってしまった玄関は、随分と違和感がある。昔は、仕事で、遅く帰宅して、門扉をカチャンとあけると、ハウスから、同時に、ジャリジャリと鎖の音を響かせて、やや、迷惑そうな顔で、ノソッと、顔を出してきて、ブルッと身震いしてから、頭を撫でると、お返しに、ペロペロとその手を舐め返すのが、日課であった。その後、膿皮症を3年前に患ってから、徐々に、免疫力が落ち始め、屋外ではなくて、室内で、一緒に暮らすことにした。一緒に暮らした18年もの年月に刻まれた愉しい想い出と共に、一緒に、生きていきたいものである。今日は、もう、只今と戻って来ても、誰もいない玄関が、こんなに広かったのかと不思議に感じられた。子供達は、未だ、仕事で、気持ちが紛れるかも知れないが、皆、家族、一人になると、まだ、喪失感と寂ばく感が、どうしても拭えない。女房殿は、昨晩、シャッターを降ろすときにも、埋葬した場所が、見えるものだから、「おやすみなさい!」と一言言って、シャッターを閉めた。愛犬でも、こんな感じだから、これが、不慮の突然死や不条理な予期せぬ事故死だったら、どんな気持ちなのであろうかと、想像してしまう。介護やある程度の老衰のその先に見えるものは、予想がつくものであるものの、それを差し引いても、何やら、胸の辺りが、重苦しく感じられるのは、どうしたものであろうか?緩やかな時の流れだけが、想い出と共に、涙が、その喪失感を癒やしてくれるのかも知れない。そして、家族の記憶の中で、想い出と共に、一緒に、生き続けるのかも知れない。もう少しだけ、気持ちの整理をする時間を下さい。