小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

名刺を持たないという選択を考える:

 

名刺を持たないという選択を考える:

 

もう40有余年もの長きに亘って、人に会うときには、いつも、名刺をまずは、交換していた。今では、学生時代から、コミュニケーション・ツールとして、持っているのが常識になっているらしい。そして、案外、その呪縛に知らぬ間にとらわれていたことに気付いていなかったのかも知れない。時系列に、或いは、あいうえお順に整理したり、仕分けしたりと、、、、、。セミ・リタイヤーを契機に、自称湯治客、老犬介護者、海外ウーファー・サポーターというステイタスも居心地は、決して悪くはない。ワールド・カフェで、改めて、アイデンティティーとは何なのか?自己紹介とは何なのか?名刺とは、一体、何立ったのかということを再考するきっかけになった。成る程、人間というものは、色々な幾重もの鎧をかぶっているものである。職業、肩書き、属性、所属組織、出身地、出身校、連絡先、等、数え上げればキリが無いものである。それらを一度、消去、リセットしてみるのも、なかなか、面白いものである。逆に、どんな鎧を纏っていたかも識別出来る訳である。もっとも、それが、長ければ長い程、若干の違和感が無いわけでは無い。しかも、そこに、ある種の「呪縛」のようなものが無いわけでは無いのである。それは、同じ期間ずっと、読み続けてきた日本経済新聞を、読まないという選択をしたときのようなものである。そういう鎧を外したときに、果たして、「自分のコア」として残るものとは、一体何なのであろうか?素晴らしい斬新なデザインの名刺を両手で、押し頂くようにして受け取った瞬間に、ふと、そんなことを感じてしまった。そして、そんな瞬間に、ハタと、名刺をお返しすることを止めてしまった自分の若干の「後ろめたさ」とでも言おうか、空虚感・喪失感なるものが、何とはなしに、感じられたことも事実である。まだ、まだ、隠居・道楽の修行が足りないようですネ!残念乍ら、、、、、、。