小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

戦争孤児と震災遺児:それでも私は生きた!

 

戦争孤児と震災遺児:それでも私は生きた!

 

NHK特報首都圏で、3.10東京大空襲や神戸空襲で、一瞬にして戦争孤児になってしまった人達のその後の生き方に関して、重い口を開いたり、当時の生活を絵に描いている元戦争孤児達の言葉を聞いたが、確かに、重いモノがある。浮浪児とか、バイ菌とか、学校では、犬小屋とか、本来は、擁護すべき立場であるはずの教師達にすら、差別されて、それでも、失われてしまった何年間の空白を埋めるべく、必死に、学業に励み、定時制や夜間学部を卒業して、教員免許を取り、教師になったり、或いは、住み込みで、丁稚奉公で働きながら、毎日を生き抜いてきた戦争孤児達が、今、その残された人生に向けて、養護学校の同じ境遇の子供達に、その重い口を、やっと、開き始めた様子が、描かれていた。同じことは、3.11の震災孤児達にも云えることで、今日のことだから、流石に、犬小屋はないであろうと信じたいが、それでも、色々な社会的な差別の中で、必死に、生き抜こうとしている震災孤児達が、現に、数多く居ることは間違いない事実であろう。社会のシステムの中で、こうした弱者、とりわけ、幼少期の孤児や遺児、更には、親が自死したり、病気で、孤児になったりした子供達に、セイフティー・ネットが、十分、手助けされる仕組みや、心理的なケアーが、施されているのか、考えさせられる。そういう物心両面での援助が、戦後60有余年も経過した今日でも、別の形で、存在していることを忘れてはならないし、援助の手を差し伸べなければならないであろう。それは、換言すれば、日本社会の成熟度のバロメーターでもあろう。考えさせられる問題提起の番組であった。