小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

韓国大統領による竹島訪問強行

韓国大統領による竹島訪問強行
報道されているので、一寸、気に懸かり、ネットで、基本的な情報を収集してみた。島根県が制定したという竹島の日が、あるのは知っていても、それが、いつの日なのかは、実際知らない。2005年に、2月22日を竹島の日と制定したらしい。子供の頃、数多くの漁民が、李承晩大統領が、サンフランシスコ講和条約の調印前、1952年に一方的に制定した所謂、「李承晩ライン」で、1965年の日韓基本条約の締結までに、328隻もの多数の漁船が拿捕され、漁労長が、銃撃で、殺害されたり、巡視船への発砲などの事件があったことを、子供の頃の記憶に、残っている。遡ること、1951年には、米国のラスク書簡で、米国政府は、竹島を日本の領土と韓国側に確認しているものの、韓国側は、国際司法裁判所への提訴を拒否し続け、1955年4月20日以降、駐屯部隊を、駐留させ続けて、実効支配を主張し続けて、今日に至っている。何とも、この事件の報道すら、私には、記憶が定かではない。要するに、我が国とかの国との間には、「国内教育・報道・広報の在り方」に於いて、大いなる情報発信の巧拙で、差がありすぎる。国内的に、常に、矛盾を、「反日」を国是として、靖国・歴史認識、慰安婦問題と絡めて、常に、灼けぼっ栗が、時に応じて、忘れた頃に、様々な形で、反日・愛国という名の下に、民族心の誇りの高揚という形で、火がつき始めるのではないだろうか?日本という国は、戦後、民族主義を、止揚するような似非国際主義の下で、国際的に、奇跡の経済復興を成し遂げてきたが、それは、経済的であって、決して、政治的に、成功したわけでは決してなかった。むしろ、そういう考え方を、極力しないように、してはならないという教えを課しながら、戦後、玉虫色に、まるで、原発、原子力政策がそうであったように、すべてを玉虫色で、何とか、穏便に、済ませてきた歴史がある。尖閣諸島の問題も、北方領土の問題も、然り、解散時期の解釈をめぐる議論も然り、戦後政治の闇に、そのまま、埋もれさせてきた様々な諸問題が、今や、亡霊のように、突然、頭をもたげ出し始めている。韓流芸能ブームに浮かれている間にも、着々と、かの国は、広報と実効支配を訴え続けるであろう。ソフト・パワー、外交の手腕とが、真に、問われているものの、島嶼での最悪のシナリオである予期せぬ軍事衝突をも、憲法の枠内で、事前に、想定しているのであろうか?それにしても、生レバ刺しを、韓国に、食べに行っている時ではないだろうに、、、、、、、。日本海の表記を巡る問題とも合わせて、ますます、民族主義の高まりは、経済的な自信と相俟って、高まる傾向があるが、「勝てば官軍」的な考えの拡がりを懸念せざるを得ない。保守化の沸点は、何処まで行ったら、爆発するのであろうかと、心配になる。週末には、男子サッカー、女子バレーボールの3位決定戦が組まれているのは、何とも、皮肉でもある。レイムダックのイ・ミョンバク政権の国内問題などとのんびりとコメントしていては、根本的な問題解決にはなりそうもないのではないだろうか、、、、、、、、。お互いの過去を忘れない、未来志向は、何処へ行ってしまったのであろうか?