小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「決定力」という魔物

「決定力」という魔物
以前、日本男子サッカーが、「決定力不足」だと謂われ続けた時期があったが、確かに、スポーツとは、真剣勝負のようなもので、肉を切らせて、その一瞬のチャンスに、相手の骨を断つという勝負強さがないと、勝ち残れない代物であるかも知れない。圧倒的なボール支配率を相手が持っていても、僅かなその瞬間を、相手のミスも含めて、チャンスに替えて、決めることは、まるで、戦国時代の一瞬の戦さの興亡が、見事な逆転勝利に、変質するかのようである。(スポーツには、内通や裏切りはないが、、、、、)幾ら練習しても、そんな力は、養われるモノではないであろう。長い時間を掛けて、経験と国際的な場数と敗戦を何度も経験しなければ、「決定力」という魔物は、醸成されたり、生まれてはこないし、身につかないであろう。「紙一重」のところで、チャンスがピンチになり、逆に、ピンチが、勝利への偉大なチャンスになることもあろう。確かに、戦国乱世の時代のように、命が奪われることはないにせよ、これが、一命を賭してやる瞬間に、遭遇したらどうなるのであろうか?スポーツは、その意味で、ある種、現代の戦さの変形でもあろうか?教育も、スポーツを通じて、こうした「生きる上での糧」を、どこかで、学ぶ場があってもよいのではないだろうか?リハビリ中で、テレビ観戦していると、そんなことを感じる。耐えて耐えて、これでもか、これでもかと、まるで、「おしん」のように、(実際、日本人だけでなく、どの国の弱者も好きであるが、、、、)外人レスラーのヒール役に、やられにやられながら、最後に、起死回生の伝家の宝刀である空手チョップ一発で、逆転勝利する方が、日本人という民族の気質には、合っているのではないだろうかとすら、思えてならない。少しは、「進化」しているのであろうか?そんなことを思ってしまう。