小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

術後の様子

=術後翌日から3日目
当たり前なことだが、身体の方で、防御のために熱を出すことになり、38度台の熱が、氷枕でも下がったり、あがったりを繰り返す。しかも、同じ体勢なので、ベトナムの拷問部屋の虎の檻の心境である。2時間毎に、体勢を入れ替えて貰っても、体力的にきつく、そのうち、諦めて、熱のあって、朦朧とする内に、眠りに落ちることになる。それにしても、寝返り一つ打つ単純な動作も、自分の意思で、コントロール出来ないわけである。時間の経過を待つ以外にないと諦観することになる。もう、3日目になると、新たな4人部屋に移ることになった。股関節を手術後、すぐに、転倒によって、骨折して、再手術予定の私より、一廻り上の患者は、まるで、モンスター・ペイシャントである。「蕎麦の丼を小丼に変えろ」、「俺は、お握りが、苦手だから、米飯にしろ」、「ナースコールに早く出ろ」、「暑い。寒い、」「カーテンを何故明けておかないのか」、私のような身体的な自由のきかない患者は、初めから、修行の行者の覚悟である。それにしても看護チームは、医療分野に、サービスが、持ち込まれてしまった以上、仕方ないのかも知れない。それにしても、人生の縮図を垣間見るようで、実に退屈しない。術後2日目の午後には、車椅子歩行で、理学療法室に移動して、尿管をつけたままで、立ち上がり、歩行訓練開始である。左足に、未だ、力が入らないのを感じる。担当の療法士への質問は、何に、キーポイントを置いて、訓練するのか?そして、何故、如何にして、カイゼンの5W1Hである。主として、体重移動、私の場合には、爪先立ちが、出来ないので、重心を前に、意図的に、持っていくというものであった。これまでは、べた足だったのである。1時間だけなのに、筋肉が、疲れてしまった。


済み=術後3-4日目(リハビリ2-3日目)
傷の痛みを全く感じないままに、血抜き管を抜いた後、尿管も外し、ガーゼも除去して、消毒後、テープになった。依然として、夜になると、38度台の術後熱とおぼしき熱が出てきて、平熱に下がらない。更に、下剤を飲んでも、なかなか、排便が促されない。溲(し)瓶(びん)も経験したから、最悪、浣腸も経験しておくとするかと内心、覚悟を決める。「浣腸」と言えば、忘れないことがある。山の神(思えば、当時は、未だ、山の神ではなかったが、、、、)が、第二子を出産するとき、渋谷も病院へ、説明を受けに行ったとき、思わず、ニヤニヤしたら、看護師から、しっかりと、出産についての厳しいご指導を面前で戴いたことを想い起こす。まさか、30年余経ってから、我が身に降りかかろうとは、、、、、、、、、。リハビリも、徐々に、左脚に力が入るようになってきた。既に、歩行器の使用が許されたので、病室まで、歩くことが出来る。体重移動を主とした立ち上がりと腰を下ろす動作の再確認である。筋肉が、随分、強まってくることが改めて知覚される。太股内側に、微弱電流のようなモノが流れ、神経細胞が、体内で、一生懸命、リセット作業中のようである。手首に装着された点滴のセットも、外れた。まるで、犬の首輪のように、制約されてしまっていたが、開放感が、又、一つ感じられた。これで、晴れて、移動の自由と束縛感からの開放が、確保された。又、一歩前進、熱が、平熱に下がれば、まずまずであるが、、、、、。結局、痛みがなかった代わりに、熱が、この5日間、夜、下がらず、頭が、フラフラするので、トイレの歩行器使用は、介助条件である、これくらいは、仕方ないか?