小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

映画「八日目の蝉」を観る

映画「八日目の蝉」を観る
母になるとは、何か?母性とは、何かを問うものであるが、それは、逆説的に、印画紙を裏表に見つめるとき、この映画の中での「父」とは、何とも、対照的に、単なるエゴイスティックな不倫男としてしか、登場してこない。それは、映画で、描こうとする非対象物であるから、仕方の無いことであるが、相似形のように、過去の記憶と大人になり、その誘拐犯の女(育ての母と謂うべきだろうか?)と同じ運命を辿ろうとする主人公の現在の記憶とを、描き出そうとする映画手法が、なかなか、興味深い。子と母の関係、そして、母になってからの母と子の関係、夫婦の関係、PTSDとは、心のトラウマとは、何か、精神的な虐待とは、等‥、女性陣の演技は、井上未央、永作博美、小池栄子、森口瑤子風吹ジュン余貴美子、それぞれ、年齢も異なり、個性が光っていて、面白い。小豆島の写真館店主役の田中泯劇団ひとりも、良かった。それにしても、産院での赤ん坊の取り違えとか、アメリカでの赤ん坊の誘拐をみるまでもなく、母親になるとは、或いは、父親になるとは、どういうことなのであるかと、改めて、この歳になっても、問いかけられているように、思えてならない。最近は、だからこそ、育爺や、育婆などと呼ばれる人間が、反省も含めて、増殖しているのであろうかとも、思うのは、穿った見方か?