小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

犬の声帯除去の記事に考える

犬の声帯除去の記事に考える
朝日新聞の社会面のニュース圏外という記事の中に、テレビの番組に出演している犬が、無駄吠えを防止するために、プロダクションが、声帯を除去して、出演させていて、放送局が、それを承知能重で、出演させていたかどうかを、報じられ、物議を醸しているそうである。それにしても、人間で言うところの「人権」、否、犬の権利である「犬権」を守るべき保護者である飼い主が、只単に、無駄吠えを防止するために、声帯を除去する手術を、避妊手術同様に、簡単に、実施してしまったという事実に、改めて、驚かされる。本来、犬が、吠えるのには、それなりの理由があるわけで、無駄吠えとは、人間様の勝手な理由付け以外の何物でもない。ましてや、「犬権」を守るべき保護者である飼い主の人間が、進んで、自ら、「犬権」を蹂躙してしまうとは、全く、情けない限りである。犬畜生に、劣ると言われても仕方あるまい。人間として、恥ずかしい限りである。吠える行為には、本能的な威嚇も含まれているらしく、声が出ない吠えるという行為自体が、ストレスにならないのではないかと、言われているらしいが、、、、ストレスになるとか、ならないとかいう議論以前の問題であり、こうした本能すらも、否定しかねない人間様の傲慢な態度が、問題である。ソフト・バンクの宣伝に出演中の白土家のお父さん犬は、きっと、犬と人間の双方の立場が、分かるから、どう考えているのだろうか?CMの中ででも、「犬権」を守る立場から、是非とも、応えてもらいたいものである。我が老犬は、目と耳が、不自由であるが、ご飯が欲しい時や、お庭を一周して、家の中に入りたい時には、必ず、自ら、大きな声で、自己主張して、「ご飯の時間だよ!まだかいな?」とか、吠えて、合図し、訴えるが、、、、、、。コミュニケーションの、或いは、意思表示する上での不可欠な手段であるはずである。声帯をあえなく除去されてしまった犬には、申し訳ないが、何とか、不自由と感じても、それでも、生き抜いてもらいたいものである。そう願わずにはいられない、何とも痛ましい記事である。