小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

重森三玲「北斗七星の庭展」を覗く

日本人は、庭が、好きである。とりわけ、枯山水は、白砂・白石と岩や、自然石を、生かして、宇宙を表現し、そこに、自らの禅の無の世界観や自然に対する哲学や、人生をも投影する。今では、小さな庭も、駐車スペースとしての車庫となり、掛け軸が掛かっていた床の間も、いつの間にか、増改築の中で、襖や天袋とともに、消滅してしまった。庭園も、服飾も、絵画も、書道も、音楽や舞踏ですら、すべて、美的なデザイン性に裏打ちされた表現の一種であると実感される。そこには、哲学的な思想と、深遠な構想とが、自然とともに、或いは、静かな沈黙とともに、一緒に、時間を共有しているように思えてならない。静かに、映像や写真を観ているだけでも、それが、身近に、感じられるのが、不思議である。実際に、これが、その場所に立って、岩肌や、水の流れや、苔を、そこにある空気と音と光と陰を間近に、感じ取れたら、どんなに、素晴らしい、感動的なことかと想像だにすることが、可能である。「石が、立っているのではなくて、作者が立っているのである。作者である場合は、その石を通して、何かを主張するのである。時には、沈黙の主張をしている場合もある。」と、、、、、。
京都「東福寺の方丈庭園」の「北斗七星の庭」(禅寺で、東司と呼ばれるトイレに使用される礎石を北斗七星に見立てて表現した庭)や、「小市松の庭」(襖のデザインから、ヒントを得て作られた四角い石と苔の庭)などが、ミニチュアで、展示、再現されているが、十分、想像力を駆り立てられるに足る何物かがそこにはある。松尾大社「蓬莱の庭」、漢陽寺庭園、東福寺光明院の「波心の庭」:「雲無生嶺上 月有波心落」(雲なく月は嶺の上にあり、波の上に月が映り、とても心が落ち着く)ということを意味する、或いは、岸和田城の「八陣の庭」:諸葛孔明の八つの陣(地・鳥・風・虎・竜・天・蛇・雲)を自然石になぞらえて、天守閣から、眺望できるような庭など、岡山県の豪溪の水墨山水画の原風景を彷彿とさせるような庭作りの数々、、、、彫刻家のイサム・ノグチとの交友、勅使河原蒼風等との前衛生け花運動、茶室、茶道、陶器、書道、庭作りとは、誠に、総合的な芸術作品であることが、改めて、頷ける。神宮外苑前駅の近くのワタリウム美術館で開催中の造園家、庭園史研究家であり、又、前衛生け花運動も手掛けた重森三玲(シゲモリ ミレー:画家のミレーに因んで、自ら、後に、改名した)の庭園展は、素人の私でも、猫の額ほどのわずかな庭でも、改めて、宇宙観を表現してみたくなるそんな思いを興させる感動が、そこにはある。バック・グランド音楽は、細野晴臣が、担当していて、耳心地よい。但し、年寄りには、4階の椅子席で、映像を観ながら、しばし、一休みしてから、ゆっくりと、3階・2階へと、降りてきた方が、腰への負担は少ないので、ご注意を!

ワタリウム美術館HP:
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html