小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

新潮日本美術文庫 10 伊藤若冲 Ito Jakuchu

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新潮日本美術文庫 10 伊藤若冲 Ito Jakuchu
テレビのBS番組で、6時間に亘り、科学的に、解説されていたので、著名な絵画は、画面上で、拡大して、科学的に分析され、鑑賞することが叶ったが、その他の絵が、見たくて、図書館で、借りてみた。小林忠氏による解説である。
「濃彩による細密表現」:「動植綵絵」30幅のうち、「群鶏図」など
「水墨による略画表現=筋目描き」:「菊図」など
「枡目による色点表現=モザイク画法」:「鳥獣草花図屏風」
「石腨ふうの水墨表現=石腨絵」: 「石灯籠図屏風」
「木版画の新表現=拓版画及び着色版画」:「鸚鵡図」、「乗興舟」
こうしたユニークな奇技を駆使して、江戸時代に、享保の改革から、田沼意次の時代、天明の大飢饉を経て、1800年、85歳で没するまで、描き続けた。しかも、相国寺の禅僧、大典顕常の知己を得て、多数の作品を寄進したのも、元来青物問屋の主人でありながらも、敬虔な仏教徒とで、「草木国土悉皆成仏」のような一寸ユーモラスな「草木や植物、野菜も悉く、皆、成仏する」という釈迦涅槃図を、もじったような絵すら、深遠な「哲学的な思想性」を感じざるを得ない。それは、「写実・細密主義」という単純な枠組みにとどまらず、単に、鶏や鸚鵡や鷲や、魚や貝や、動物や糸瓜を描いただけではなくて、又、その技法が、如何に優れていたかだけではなく、その背後に存在する作者の普遍的な宇宙的な「描くこと」に対する「哲学」を感じざるを得ない。何とも、その問いかけには、すさまじいモノを、今日でも、その作品を通して感じざるを得ない。光と陰、陰と陽、黒と白、ネガとポジ、極彩色、見る人の陽の光や、陰や、部屋の陽の光の射し方にも、熟考に熟考を重ねて、描かれている手法、遠近法、絵の飾り方など、小さな紙の上の写真だけでは、その科学的な検証は、難しいであろう。ハイビジョン・カメラの番組の方が、確かに、今日、やっと評価が高まりつつある若冲の良さは、改めて、再認識されよう。言うまでもなく、有名な代表作である「動植綵絵」等も、良いが、一風趣を異にする晩年に描かれた7体の布袋を縦に並べて、描かれた「伏見人形図」は、何とも、ユーモラスであるが、なかなか、解釈の仕方が、難しいモノであり、同じく、最晩年に描かれた「岩頭猛鷲図」とは、全く、異なり、個人的には、大変興味深く感じられた。この本には、むろん、全ての作品が、表現出来る程のスペースも、大きさもないし、それを期待する方が無理ではあるが、テレビで取り上げられていた大典僧侶と淀川を下って、大坂に赴く拓版画の淀川両岸図巻、「乗興舟」の空の色を漆黒の墨で、顕した作品が、見れなかったのは、大変残念である。濃彩による細密表現や、ふぐの薄作りを思わせるような筋目画きの水墨画もさることながら、「版画」が、ネガ・フィルムのように、ことさらに、秀逸である。改めて、録画しおいたビデオを見直そうと思う。それにしても、戦後、数百万円で、幸か不幸か、プライス・コレクション等で、海外の目利きの美術愛好家らによって、散逸を免れ、生き残れたことは、日本人としては、口惜しいところであるが、何はともあれ、貴重な文化財が、どういう形であれ、今日までも、保存されてきたことは、喜ばしい限りである。