小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

イスラエルのイラン核施設単独攻撃の可能性

イスラエルのイラン核施設単独攻撃の可能性
政治的閉塞状況下では、人間は、ある種の「非戦論」と、その反面、打開を何とはなしに漠然と期待する「開戦論」とを、心の底に、同時に有するモノである。とりわけ、非戦論は、閉塞状況の固定化とともに、或いは、事態の悪化とともに、戦端を開いて欲しくないという願望にも似たものになり、目前の現実から、結果として、最悪事態に対して、眼を背けてしまうことにもなりかねない。否、最悪事態を想像することすら、試行放棄しがちである。それは、まるで、大津波が刻々と迫っているのを知りながらも、自分のところには、まさか、来ないであろうという願望に変わり、次第に、避難行動を結果的に、遅らせてしまったように、、、、、。米国メディアは、当然、ユダヤ資本に、影響された産物であり、戦前から、蒋介石等の対米メディア工作の例を、引き合いに出すまでもなく、今日でも、一貫して、アメリカの国益は、シオニズムを擁護することにいささかの躊躇も、変化もみられない。そんなメディアの小さな記事に、イスラエルが、イラン各施設への単独攻撃も検討しているという報道があった。成る程、モサドや、その協力機関が、これまでにも、過去、イラクやシリアの核研究施設を爆撃したり、最近では、イランの核開発科学者が、不可思議な爆弾テロに倒れたり、核施設のコンピューター・制御システムに対して、DuQuとおぼしきマルウェアー・ウィルス攻撃を密かに忍ばせ、開発を遅延させようとしたことなど、少なくとも、解釈によっては、警告ともとれるような、否、むしろ、解釈如何では、既に、「前哨戦の戦端」は、切って落とされているような気さえしないではない。「ニイタカヤマノボレ」は、今日でも、常に、後追いであろう。アラブの民主化の渦の中で、中東戦争を軍事的に担えるような国は、今や、どこにも、見当たらない。リビヤのカダフィは亡く、エジプトのムバラクも失脚し、軍部も批判に晒され、シリアのアサドは、国内の反政府鎮圧で、手一杯である。米国も財政赤字に伴う軍事予算の削減から、或いは、サウジ他の国々も、イラン支援のシーア派の台頭には、頭を悩め、等々、どうみても、イラン経済制裁で、イラン国内経済が、疲弊してきたら、絶好のチャンス到来であると、イスラエル右派・軍部が、考えないと、決して言えなくはないであろう。将来起こりうる一連の流れの中で、東北アジアでは、今、まさにそこにある北朝鮮の核ミサイルの脅威が、改めて、これにより、問われかねない。やれ、富士山大爆発だ、M7以上の巨大地震の再発の可能性大だと、かまびすしく、週刊誌の大見出しが踊り、喧伝されているが、この国の防衛大臣が、15分も行方不明になり、コーヒーを飲んでいたのでは、くさばの陰から、山本権兵衛や、東郷平八郎大山巌等が、きっと、嘆いていることであろう。余りに、予想不能な不確定要素が多すぎる今日、あらゆる予断を排して、来るべき将来の事態に、対処しなければならない。国連安全保障理事会での拒否権発動を見るにつけて、改めて、戦後ポツダム・ヤルタ体制が、依然として、変わっていないこと、朝鮮半島も戦争が終結していないこと、ソ連とも戦後処理が終結していないこと、等、再認識される。