小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

特売に考える:

特売に考える:

 

或る人から、ネットで、情報をとれるのに、どうして、地方新聞をとるのですかという質問を受けたので、「一昔前のアナログの活字人間だから」と応えたが、ハタと考えてみれば、デジタルのWEB版では、広告やビラが入ってこないのではないだろうか?最近では、リハビリの運動も兼ねて、一寸、遠いスーパーまで、自転車で、20分位掛けて、わざわざ、買い物代行にも出掛ける。とりわけ、山の神御用達の特売商品購入専門要員である。無償のボランティアである。何もそこまですることはないとも思われるが、昔は、マーケティングが目的で、買い物に付き合ったが、今や、ミッションが、全く、予期せぬ方向へ、変質してしまった。特売初日の広告のビラには、確かに、白砂糖や鶏卵が載っている。お一人様一点限りという表示も見える。異常なくらい安いそうである!目玉商品なのであろうか?開店5分くらい前に、チャリンコで、到着すると、既に、30人ほどの行列が整然と並んでいる。次から次へと、人が、とりわけ、ウィークデーだから、老人が多いのは仕方ない。若い人も、若干、混じっている。旦那が先に来て、後から、奥様が合流するケースもある。開店は、時間ピッタリである。と同時に、人々は、売り場へとすごい勢いで、ダッシュしていく。こちらは、走れないし、何処に、どの目指す商品があるのか、分からないので、仕方なしに、その「一群」の目指す同じ方向へと、身を任せつつ、誘われることにした。成る程、白砂糖があった。そして、それをゲットすると、今度は、鶏卵である。こちらは、何と、家族総出で、冬休みなのであろうか、子供と姑を従えた母親が、統制の取れたチーム・ワークで、私の前に、しっかりと、割り込んでくる。係員も手慣れたモノである。「お一人様、一点限りです、、、、、、、」と。これも、無事ゲットすると、踵を返す方角に、行列があるので、何も考えずに、並んで、ゲットすると、バター風味マーガリンだった。我が家では、もはや、「食べてはいけない食品」に属するので、無駄になると思い、返却することにしたが、どういう訳か、喜ばれてしまった。特売とは、何なのであろうか?客寄せの目玉なのであろうか?それ以外の商品を購入しないと云うことは、特売の意図する所に反することになるのか?消費者からすれば、平均原価を下げられることになるのか?それにしても、点から点へ、決して、他の商品を購入すべく、線から、面へとは決して拡がりがない我が導線である。もはや、特売も、ゲーム感覚なのであろうか?本当に、特売を必要としている人間が、特売商品をゲットしているのであろうか?どうみても、この光景は、そうではないのではなかろうか?生活に困窮している人は、そもそも、開店当初から、来られるはずがない。新聞も、定期購読していなかったら、知るはずもないが、、、、、。どうなのであろうか?特売のビラを見る機会があるのだろうか?浜矩子著、「新・国富論」という本を読んでいたら、アダム・スミスが、いみじくも、カネの価値とは、当時のまさに、金貨(キンカ)という金地金に裏打ちされた金証券という「カネ観」から、「貯めるためではなくて、使うためにある交換の手段」であり、共通の価値尺度であると喝破して、独り占めと出し惜しみの重商主義を批判したが、そんなカネでも、現在進行中のデフレの中では、流石に、エブリデイ・ロー・プライスでも、特売は、止めることはないのが、現状である。一体、どうしたら、カネを使うようになるのであろうか?本当に買うものがないのか?社会不安や将来の老後への不安が、過大な貯蓄の原因なのであろうか?アダム・スミスもビックリするような重傷である。デフレだからなのか?賃金が上昇しないからなのか?インフレになると焦って、或いは、消費税のアップが、実施される前に、未来の消費を先取りで、或いは、平均原価を上げないためには、今度は、カネを使おうと人は、思うのであろうか?何か、特売・販促は、既に、麻薬的な臭いのする貨幣価値を麻痺させるような危険を感じるが、、、、、、そして、それに、ゲーム感覚で、嵌まってしまっている自分という存在にすら、気が付かないようになりつつある自分が、この群衆の中にいると、ふと、思った。「新・国富論」という本については、又、別途、読後、書評で、考えてみたいと思います。面白そうである。今年も、多くの方々に、ブログに、ご訪問戴き、ありがとう御座いました。月並みではありますが、皆様が、健康に恵まれ、心豊に過ごされますように、お祈り申し上げます。年末、年始は、少々、雪景色でも眺めながら、家族と一緒に、地酒と温泉を愉しむ予定です。では、良いお年をお迎え下さい。