小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

久しぶりに夜の銀座を愉しむの巻:

 

久しぶりに夜の銀座を愉しむの巻:

 

全く、もって、変わってしまったものである。建物というモノは、或いは、それが、建っていた場所が、その地域ごと、そっくりと、新しいビルに建て替えられてしまうと、そこには、嘗て、どんな建物が建っていたのかを思い出す方が、至難の業である。(恐らく、済んでいた人も、そうであろう)兎に角、人が多い、歩く速さが、とても、尋常ではない、早いのである。小学校のクラスメートが、京都で著名な料亭の「たん熊」で、日本料理の修行を積んで、その後、高知、博多と、更なる修行を積んで、日本料理の板前として、業界でも、そこそこ、有名になってから久しい。久しぶりに、銀座のお店に、元の会社の先輩を紹介すべく、お邪魔することにした。何とも、日本料理は、奥が深いことに、改めて、感激する。お品書きの字も、写経やお習字で、著名なお寺で、書道の修行を積んだそうである。又、茶器や、生け花も、さりげなく、その食事の場をわび・さびの精神で、盛り上げ、白い椿の一輪挿しと花器、清楚に置かれた苔玉が、品の良さを醸し出す。お吸い物の漆器の蓋には、金粉で、書かれた景色が、優雅に、湯気の中に、浮かびたつ。(このデザインも、自ら、考えて、特注したものである。)それにしても、料理の味も、薄味の舌に残らない、上品な日本料理の神髄を感じさせるものである。たまにしか、こういう雰囲気を味わえないが、実に、至福の一時である。(入院していたときの糖尿病予備軍食と比較してしまう。)料理の話、とりわけ、素材の話、包丁の研ぎ方、食器の洗い方、ふき方、仕舞い方等、素人にも分かりやすく、説明を受けながら、お食事を戴くと、更に、料理を味わうことに対して、愛着が生まれてくるものである。帰りがけには、落ち着いた雰囲気のバーで、一寸、一杯、引っかけて、帰ることになったが、大衆的な居酒屋も良いが、たまには、こういう本格的な王道中の王道的な料理をじっくり、味わうのも、決して、悪くはなさそうである。(懐具合が許せばの話であるが、、、、、)都心の地下鉄の電車やエスカレーターを乗り降りするのも、人混みを歩くことも、存外、いやはや、疲れるものである。やはり、田舎の方が、どうも、ゆるりとしていて、宜しいのではないでしょうか? 少々、おいしい「麒麟山」が、効いてようである。(反省!)