小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

「ノマド」という言葉を考えてみた:

「ノマド」という言葉を考えてみた:

随分と昔のことになるが、いつの頃だったろうか、「ミッシー」という言葉が、一人歩きして、まるで、丸の内に勤める独身OLが、米国流の独立自尊心に富むアクティブで、スキルも、能力も高く、高収入で、一流の人間であるかのような幻想の下に、マーケティング・コンセプトを纏めて、実際に、店舗の改装から、商品の宣伝・仕入れを大々的に行なったが、その数年後には、散々な結果と失敗に陥り、この目標とした客層の修正を行ったある会社を知っている。頭の中で、或いは、本や情報の中で、描かれるものと現実のそれとは、全く違ったものであることが、自身で、認識・実感されるのは、いつも、10年くらい経過してからのことであろうか?その時には、もう、時間という万人に等しく、差別することのない、冷徹な人生の歯車は、決して、逆戻しが出来ない。それは、又、自明の理である。最近、「ノマド」という言葉をよく見聞きするようになったが、本当に、そのようなフリーランスの、組織に拘泥されないような自由なタフな精神力と活動力と自主的なクリエイティビティーな能力に富む独立自尊の何処でも、場所と時間と人間関係に拘らない人間が、社会的な信用力もあり、その対価としての資産形成をも可能にするような若者が、実際、多いのであろうか?どうも、マスメディアなどの新しいモノ好きの無責任な、理想を現実化と混同するような種類の存在ではないかとも思われるが、、、、、、。90年代の前後に、リクルートなどが、喧伝した「既成概念を打ち破るような新自由人種、敷かれたレールをそのまま走るのではなくて、夢を持ち続け、社会を浮遊する究極の仕事人」等という「フリーター」も、今日では、お笑いやバンドや演劇人を目指す一部の若者ですら、30代・40代になろうとしていて、早朝の電車には、そういう人達が、ほとんど、夜勤帰りで帰宅するのであろうか、決まって、眠りこけている姿をよく、出張の際に、見かけたものである。或いは、その後、更に、「派遣でより自由な時間と暮らし」と残業のない職場を求めて、「本当の自分探し」の旅と称して、その結果、永遠の不安定な非正規雇用と貧困層化の罠へと向かって行ってしまった。それにしても、情報化社会というものは、怖いものである。本当に、目の前にあるように思わせたり、逆に、そんなものが一部にしか、存在し得ないのに、あたかも、まるで、それが、全てに、敷衍されて実際に、存在するかのように、喧伝されると、そんなものかとも、錯覚しがちである。我々、もう年寄りは、若い人に、実は、そうではないということを、マニフェストや昨今の威勢の良い、耳障りの良い言葉ではないが、その「言葉の有する幻想性と現実」をもう一度、立ち止まって、疑うことを勧めるべきではないだろうか?本当の覚悟を以て、真のノマドを目指すのであれば、別であるが、、、、、、、。