小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

鈴木邦男氏の朝日新聞記事に考える:

鈴木邦男氏の朝日新聞記事に考える:

随分昔の事になるが、全共闘新左翼の対局として、当時、一水会新右翼の論客と称される頃の物言いとは、随分、憲法観も、フレキシブルになったように感じられるが、もっとも、それは、同氏の説明の如く、所謂、左翼の衰退、対中国・対韓国との国際情勢における排外主義の高揚にも関係することであることは、自明の理である。しかしながら、それらを差し引いても、基本的な民主主義の概念に対する考え方、或いは、天敵がいなくなった右への生態系の破壊への心配、更には、行き過ぎた自主憲法制定依存や過大な期待(万事、自主憲法を制定すれば、解決するという幻想)に対する冷静な懸念は、おおいに、傾聴に値するのではないだろうか?軸が動き右翼を増長させ、「生態系」が、危うくなっていると。これは、まさに、「護憲」に対するアンチテーゼとしての自主憲法制定の構図に対する新たな切り口であろう。余りに威勢の良い言葉だけの、味方に対する敵を常に作り出す劇場型の今日的な政治扇動よりも、同氏の云う、逆説的な「主義主張・論旨、一徹は宜しいが、変われなかった事に対するある種の危惧を感じる」という趣旨の発言は、なかなか、どうして、重いモノがあると思われる。今や、労働組合も衰退し、旧態依然たる所謂、左翼陣営は、むしろ、同氏の主張などにも、耳を傾けるべきではないだろうか?沖縄や、尖閣竹島・防衛などに関するコメントが、紙面の関係で、あまり詳しく触れられていなかったのは、残念であるが、基本的な考え方、憲法・民主主義に対するスタンスが、読み取れたことは、とても、興味深いことである。依然として、単純な旧いバランス感覚だけで、新保守陣営の中にすら、社民勢力を駆逐してしまったことは、間違いだったなどという論理が出てきているようであるが、まさに、「良きライバルがいて、敵に学び、敵に、自らを映す」という趣旨の同氏の見解は、決して、関係がないように思えてならない。それにしても、久しぶりに、同氏のインタビュー・オピニオンを読んだが、なかなか、ある面で、興味深い考え方でもあろう。「憲法という大きなものに責任を転嫁して、山積している現実の課題をなかなか片付けられないことに国民の目がいかないようにしている感じがする。これでは、尖閣竹島の問題を、国内政治に対する不満のはけ口として利用した中国や韓国を笑えませんよね」という発言は、極めて、新右翼の論客としては、冷静なバランス感覚に富んだものと云わざるを得ない。是非、何かの企画で、辺見庸大江健三郎などと、対談してもらいものである。昔は、大学の学園祭などでも、こういう企画が、あったものであるが、、、、、、、。