小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

「褒めること」と「生産性」と「上昇志向」:

「褒めること」と「生産性」と「上昇志向」:

老子を今更、引用するまでもなく、「無要の要」の重要性を学んで育った自分には、どうも、最近の「褒めることで、人は、タイプが、早く打てるようになる。」、そして、そこから、更に敷衍されて、行き着く先は、「学んだり、進歩することが、早くなり、従い、生産性が向上する、、、、、、、、」と。何とも、まことしやかに、またぞろ、経済観念と生産性向上へと導くような合理的「教育論」へと、新聞までもが、同調・展開されているが、、、、、、、、。現代風な褒めることの重要性を論うことで、体罰や叱ること、個性を潰す事への逆説的な非難は、分からなくはないが、、、、、、、、。随分昔のことになるが、右翼の街頭宣伝車が、「褒め殺し」なるもので、逆に、裏で、金を無心する犯罪行為が、横行した時期があったが、どうも、褒めるとか、褒められるとかという事に関しては、我々世代は、どうも、むずがゆくなり、しっくりと感じられないのが本音であるし、素直には、受け取れない。まして、それが、タイプを早く打てるようになったりするなどという研究結果や、果ては、「生産性向上に繋がる」とまで云われるようになると、(甚だ、失礼な言い方かもしれないが、)大阪弁ではないが、「ホンマでっか?」と思わず、疑わずにはいられない。それにしても、実に、「虐めと褒める」ことは、表裏一体、奇妙なバランスである。最近では、他人から、褒められることを、とても、嬉しく感じる若者が多いそうで、人に、役に立っているとか、自分の存在価値や意義をそこに、見出そうとする、もっとも、年寄りですら、社会との繋がりとか、結びつき、絆とかを、生きがいとする方が大切であるという考え方が、主流であり、社会学者などは、そのように、主張しているそうである。これまでの上昇志向も、今や、縦軸的な上(出世や昇進)や下(確固たる意思によるドロップ・アウト)ではなくて、横方向への拡がりを見せ始めていると、、、、、、。安易に褒めることが、即、長所を伸ばす事に繋がるのだろうか?性格にもよろうが、何でもかんでも、効率やら、生産性に、結びつけられて云々されるのでは、堪らない。「フーテンの寅」さんではないが、どこの親戚にも、組織にも、出来の悪い、決して、仕事は出来ないが、それでも、人間的には、親しみのある、悪い人ではない人が、たくさん居たものである。しかしながら、いつの間にか、数値的な効率やら、生産性やら、成果主義という名の下に、抹殺されてしまい、絶滅危惧種化してしまった。私は、これから、敢えて、この「絶滅危惧種」になることを恐れずに、残りの人生を、生きて行きたいと思うが、、、、、、、。