小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

田島征三著・絵、「絵の中のぼくの村」を読む:

 

田島征三著・絵、「絵の中のぼくの村」を読む:

 

小諸の大浦にある茶房、「読書の森」から、本をお借りしてきて、読むことにした。

 

少年の日々は、いつだって、生傷だらけだったと、著者は云う。肉体的な傷だけでなく、そのまだ、大人になりきれていなかった少年の精神は、この一卵性双生児の兄弟の弟の方である著者にとっては、自分自身の内的世界そのものか、丁度、反面鏡を見ているようなもので、もう一人の自分であった、、、、、、とも。喧嘩をしても、禁断の悪戯をしても、川で、溺れかけても、魚釣りをしても、野鳥捕りをしても、友達から虐めを受けたり、のけ者にされたり、或いは、自分よりも弱者を虐めたりしても、更には、母から教えられた性教育ですら、それらは、全て、少年の時の「今から想えば」、大人に成長する為に、必要だった時間と経験だったのかも知れない。高知の、未だ、手つかずのままに残されていた当時の自然と、現実的な戦後間もない厳しい生活環境、貧富の格差、親族・家庭環境の中でも、そこには、被差別部落の問題もあり、その限られた友達付き合いの中にも、決して、無縁な世界ではなかったし、或いは、今ならば、考えられないような教師による虐めや鉄拳制裁や、病気や怪我や、他人に、傷つけられたり、逆に、悪意がある訳でもないのに、知らないうちに、他人を、弱者を傷つけ、その結果、自分も傷ついてしまう。あらゆる経験が、時間の経過と自然という原風景のフィルターの中で、懐かしい想い出へと移ろい、歳を経ても、それらは、決して、消え去るものではない。しかしながら、それらの村は、或いは、そうした出来事や自然そのものも、動物たちや物の怪も、開発と便利さというもので、もう、自分の描く絵の中にしかない、、、、、、、、、、と。傷つけやすく、自身も又、傷つきやすい少年の日々は、今も、心の中に、宿っている、、、、。

 

原作が、映画化されて、第46ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をしたというので、今度は、映画をDVDで、観ることにしよう。

 

PS) どうらくオルガンちちんぷいぷい、他、新潟県十日町市にある「鉢集落と田島征三、絵本と木の実の美術館」HPhttp://www12.ocn.ne.jp/~ehon2009/