小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬と一緒に、様々な分野で社会戯評する。

「風の男、白洲次郎」、「プリンシプルのない日本」を読む

「風の男、白洲次郎」、「プリンシプルのない日本」を読む

 

犬を飼うときに、何故、動物愛護センターから、講習を受けた上で、選んでもらい受けてきたかというと、何故か、血統書付きというものが、犬であれ、人間であっても、どうも、鼻持ちならないという感慨を否定しきれなかったことがある。それにしても、二世とか、血筋がよろしいとか、家柄がよいとか、犬と一緒にしてはいけないが、どうも、そういうモノに、鼻持ちならないモノを感じざるを得ない。白洲次郎なる人物は、写真からしても、端正な顔立ちであり、表題のように、爽やかな「風の男」というさりげなく歴史の表舞台から、去って行きつつも、決して、奢らず、カントリー・ジェントルマンとして、その「矜恃と誇り」を、戦後の歴史の中で、真の国際人として、認められるような人物は、稀ではなかろうか。その意味では、名門という言葉も、その個人の評価が、正当である限りは、悪いことでは無いとも思ってしまうが、、、、、、、。それにしても、血筋と言い、家柄と言い、結婚相手(樺山正子)と言い、或いは、吉田茂との関係、小林秀雄との関係、(吉田満の「戦艦大和ノ最期」の出版許可をGHQに仲介依頼したのをきっかけに)、更には、文人となる幼友達の友人達(今日出海河上徹太郎、松本重治)との関係と言い、やはり、家柄というモノは、本人が望んで得られるモノでもなければ、意図的に、得られるモノでもないのかも知れないが、、、、。むろん、白洲次郎という「個人のプリンシプルとアイデンティティー」が、確立するのは、9年間に及ぶイギリスへの留学時代とその後の家の没落などで、君子豹変する訳である。戦前から、その米国海軍力の潜在的生産能力の予想や、開戦不可避の可能性ばかりでなく、その敗戦への先見性と言い、戦時中での空襲を予想した鶴川村でのカントリー・ジェントルマンとしての農作業生活も見事であるが、戦後の絶対的な新たな現人神となった占領軍に対しても、臆することなく、そのイギリス仕込みの英語で、ホイットニーに「白洲さんの英語は、大変立派な英語ですね」と言われたときにも、「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますね」とシニカルに切り返したり、GHQに対して媚びを売るような役人の中にあって、最も、手強い、歯に衣着せぬ意見を、正々堂々と、主張したと占領軍に謂われた男は、政治家になることもなく、新憲法の制定交渉、ドッジ・ラインに呼応した経済政策、とりわけ、商工省の改組とその後の通産省への礎、経済・産業政策と輸出・貿易政策、国際通商主義、或いは、電力事業の再編作業、等、今日でも大きな足跡を残した様々な事業に、関わってきた。福島県と東京電力との水利権を巡る電源開発の問題など、皮肉にも、別の形で、今日でも問題化しているが、、、、、、。

 

どのようなプリンシプルが、確立され、一体、日本という国は、逆に、何故、「戦後は終わった」などと謂われる今日ですら、未だに、プリンシプルを持つことが出来ないのであろうか?キングズ・イングリッシュが、得意だったというだけでなく、その合理的な考え方、戦前の開明的な考え方を身を以て、肌で感じて、人と人との付き合いの中で、学んだのかも知れない。確かに、今や、国際化が、叫ばれて久しく、帰国子女も増えているが、私の経験でも、どんなに、英語が堪能でも、江戸時代の寿司や天ぷらのファースト・フードとしての説明や、醤油の歴史的な普及の説明を全く出来ない多くの若い人達を、知っている。或いは、ゴルフ場でも、アドレスを開始しているのに、公然と、後の組が、声高に、話をしていたり、アイアンで、切り取ったターフを拾って、修復せずに、或いは、バンカーも、キャディー任せにして、平然とプレーを続ける若者など、白洲次郎が、生きていたら、大声出して、怒鳴り散らすような光景が、国際化やグローバル化という波の中でも、見られるのが、現状である。「風の男」とは、ある種、「潔さと筋」を、その人生の生き様の中に、感じざるを得ない。まるで、マッカーサーが、「老兵は、ただ、消え去るのみ、、、、」と言った言葉にも、何か、共通するモノがあるように思われる。もっとも、白洲は、「吉田茂老は、辞め時を、誤ったことである」とも言っているが、、、、、。

 

辻井喬によれば、「彼が生きた時から日本は、少しも進歩していないということなのか、或いは、正しい見解というものは、いつの時代にあっても通用するという所謂、不易流行というものだろうか?恐らく、その両方のことを教えてくれているように思う」と。英国紳士道を自らのプリンシプルに据える白洲は、当時のパンパンの生き方すら決して批判せずに、むしろ、戦中・戦後の軍部や占領軍にすり寄っていった男性達や小役人に対して、歯に衣着せぬ批判を浴びせている。所謂、評判を気にしたり、八方美人的な生き方や摩擦回避主義の不作為に対して、厳しい言葉を投げかけている。今日の災害復興をみても、これらの終戦後間もない言葉は、全く、現実味を帯びているとは、どうしたものであろうか?税金の使われ方、予算の執行の仕方、国家補助金制度についての見識など、全く、今日のことを言っているかと錯覚するようなくらいである。逆説的に謂えば、今日まで、ずっと、70年近く経過していても、何ら、課題は克服できていないのか?輸出振興策、為替レートの問題から、電力の安定供給、経済界の指導者の小児病への警鐘、果ては、戦争責任まで、その舌鋒は、鋭く、止まるところを知らない。或いは、男女同権を論じる中で、宮内庁の在り方、将来の女性宮家の創設の可能性や、女性天皇の継承に対する独自の見解などは、現代でも、尚、議論がなされて然るべき課題であり、まさに、未だに、まっとうな議論すら十分行われていないのは、何とも、皮肉なことであろう。敗戦の結果として国力の低下と現実の破産状況を前にしても、「抑えつけられることが、分かっていても事実を率直に言うだけのことは言うという勇気はあるべしである。言うことだけは言った上で抑えつけられても何をか況んやである。・・・・・言うことだけは言って、然るべき後に天命を待つと言ったような気持は、占領中に私は嫌と言う程経験した。」とも語っている。外交での事勿れ主義を嫌い、水爆実験による鮪漁船の被災補償に関して、病院側、或いは、外務省の対応を、批判しているが、放射能汚染、原子力の問題は、皮肉にも、今日、福島原発問題とも、重なってくる。読めば読む程、読み進むにつれて、白洲は、今日的な問題、例えば、ナショナル・フラッグとしての政府が大金をつぎ込む会社の具体例として、日本航空の問題を挙げているし、当時、メジャーによって首根っこを押さえられていたイラン原油の輸入についても、更には、国家エネルギー政策、とりわけ、石炭から石油への転換に関して論じているのも、実に、先見性がある。あれ程、占領政策に、GHQとの直接交渉を通じて関わってきた白洲は、それでも、「米国による占領であったことは、最悪中の最善であったとはっきり言える」と、そして、こうも付け加えている。「己の好まざることを人に施すなかれと先祖代々教わってきた我々も、人の好まざることを人に施した挙げ句、人の好まざることはやっぱりおのれも好まざるものであったと気が付いた。因果応報、何をか況んや。」と、鳩山一郎による日ソ交渉の件も、中共との国交の回復に関しても、「いつまでも盲目的にアメリカに追従するのはやめて、、、、、()、、、、、中共の存在という事実をよく納得させてやろうくらいの気概を持ったらどうだ。東洋の問題は中共を排除しては考えられない。、、、、、()、、、、、ほんとの誠意と熱意を以てアメリカを説得する位の大仕事に掛かったらどうだ。、、、、()、、、、、、日ソ国交再開の糸口が開かれたと言うことでに過ぎない。ほんとの日ソ交渉は今から始まるのだ。、、、、、、、」と、今日でも、日ソ間での平和条約交渉、領土問題、中国との尖閣列島の問題など、確かに、戦後の遺産が、そのまま、未解決で、残されていることが、改めて、再認識されるし、白洲の言うところは、当時から、刮目に値する。安保条約の改定に関しても、「アメリカはどんどん主張し、こちら側はおっかなびっくりで、何も云わないようなら、日を経るに従って残るものはただ誤解と悪感情だけだ。、、、、、()、、、、、、もっと勇敢に信念を以てアメリカに当たるべし。、、、、、、、、、」と、何とも今日の微妙な日米関係を見通していたかのようなコメントである。政界立腹帳、一寸一言・八つ当たり集に、これでもかと、思いの丈を書きまくっている。

 

今日、読み返してみても、成る程、その先見性と心意気は、「戦後」という、或いは、「占領中」という時代背景を鑑みても、いつの時代にも通じる普遍性を、感じざるを得ない。今日、生きていたら、どんなことを論評したであろうか?

 

戦後という時代や占領という言葉すら、知らない若い人にも、今日と較べながら、先人が、どのような思いで、進路を選択し、或いは、決断を余儀なくされたのか、思いながら、是非、読んでもらいたい著作であるとおもうが、、、、、、、。