小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

岡崎久彦著、「吉田茂とその時代」を読む

岡崎久彦著、「吉田茂とその時代」を読む 外交官として、「外交官とその時代」シリーズ(陸奥宗光小村寿太郎幣原喜重郎、重光・東郷、吉田茂)の第五巻目の著作である。歴史は、その善悪・好悪によって、判断されるべきモノではなく、歴史観の対立、或いは、違いがあることを認識しつつ、冷静且つ客観的に、検証されるべきであり、何々史観というもので、断罪されるものであってはならないと、、、、、、。著者によれば、我々のような戦後すぐに生まれた団塊の世代全共闘世代は、戦後の占領軍による過激なニューディーラーの行き過ぎと日教組等の教育偏向によって、影響され、生み出された世代で、未だに、日本の言論や、世論形成に、一定の悪影響を及ぼしていると、、、、、、、。その言が、的を射ているかどうかはさておき、戦後史のGHQ,占領軍による7年間に及んだ占領政策の研究は、確かに、もっと、現代史の闇の中で、日米の若い学者によって、公に、議論されても良いかも知れない。我々の世代では、正直言って、占領時代の占領政策、とりわけ、この著書の中でも、取り上げられていたような一連の課題は、あまり、学校で、当たり前のことしか、教えられなかったようであるかもしれない。その意味では、イデオロギーは、別にしても、NHKで、韓国の学者と「領土問題」について、討論していた櫻井よしこ女史のコメントも、この著者と同じような論点で、何とも、注目すべき発言であったことを想い出した。確かに、教科書・歴史認識の問題とか、南京事件従軍慰安婦の問題は、キチンと相互に検証されなければならないのは、それなりに、正鵠を射ているかも知れない。占領軍による民主的な改革、財閥解体、農地解放、労働組合の創設、教育制度の改革、東京裁判、公職追放令、新憲法の公布、天皇制と第9条の問題、そして、後に、続く、安全保障の問題、警察予備隊、自衛権の問題、米軍駐留の問題、これらを、マッカーサーと吉田茂、或いは、近衛文麿幣原喜重郎芦田均鳩山一郎石橋湛山、或いは、その後の吉田学校の卒業生である(池田勇人佐藤栄作田中角栄宮沢喜一、等)の人間関係を織り交ぜながら、激変する国内の社会情勢と緊迫の度を増す敗戦後の国際情勢の急変と冷戦下での国の選択の在り方を、復興の道を検証して行っている。日本側だけでなく、占領政策に関する戦前からの米国側知日派と称する米国側の日本研究者の人脈など、極めて、興味深いモノがある。とりわけ、現地最高司令官としてのマッカーサーと本国、ワシントンの政治地図との相克、権力闘争、イデオロギーの違いなど、経済政策や、占領政策とは、随分と、生臭い人間的なドロドロした中で、決定されて行ったものであることが、改めて、認識される。対日心理作戦の責任者であるボナー・フェラーズ准将、米国の良心として、「米国の鏡・日本」を著したヘレン・ミアーズ、そして、占領政策の起草作業レベルでのブレイクスリー、ボートンから、政策形成実務レベルでのバランタイン、ドーマン、から、政策決定レベルの知日派で、元駐日大使であるグルー等の日本派布陣、サンソム卿、ジョージ・ケナンによる占領政策への批判、極東通の記者であるマーク・ゲイン、情報局のゴードン・ホイットニー、民政局のウィロビーとニューディーラー左派であるチャールズ・ケーディスとの路線対立、そして、コロンビア大学の学者であるビッソン、そして、ニューズ・ウィークの外交担当編集者のハリー・カーン、ドーマン、コンプトン・パケナム、ジェームズ・カウフマン等による親日ロビー、そして、農業政策のフィアリー、ラデジンスキー、「敗北を抱きしめて」の著者であるジョン・ダワー、ジョセフ・ドッジによるドッジ・ラインの実施、等、我々の知らないところで、日本学が、綿密に、日本人の心理も含めて、科学的に研究されていたようである。逆に、日本は、米国のことを、或いは、中国やソ連のことを心理学的、歴史的に、研究・考察している研究者が、戦時中、戦後に、何人いたのであろうか?むろん情報武官は、そういう仕事を使命としてはいたのであろうが、外交・民間レベルでは、どうだったのであろうか?そして、戦後も、今日に至るも、果たして、そういう流れがあるのであろうか?どうも、語学だけの問題ではなさそうである。 それにしても、現代の問題は、問題で、大変な課題であると実感するが、敗戦後の占領期での食糧問題、経済復興、安全保障、等の喫緊の課題に対して、占領下で、日々、決断してゆくことは、並々ならぬ努力が必要であったことは、疑いの無いところであろう。残念乍ら、戦争のことは、我が世代は、祖父母や、親の世代から、直接、色々と見聞もしたが、占領時期の、とりわけ、自分が、未だ、赤ん坊であった頃の親の世代の生活を、こうした政治・経済政策の大局的な見地の中で、見直してくることはなかったように思える。せいぜいが、朝鮮戦争時での株式相場の高騰で、母のへそくりや家計が、楽になったことくらいだろうか?それにしても、著者が言うように、占領軍による7年間の占領政策は、日本人のその後の精神構造に、多大な影響を及ぼし、反軍思想、ひいては、反安保、或いは、教育での自虐史観の形成をもたらし、今日でも、「戦後」は、そのまま、精神構造上、引きずって歩いていると、確かに、この著作を読み進むと、南京事件が、ナチスのホロコーストになぞらえられて、東京裁判の中で、不当に、誇張されて取り上げられ、結局、従軍慰安婦や、靖国合祀の問題まで、今日に至るも、全く、根本的に、歴史の客観的な検証が、国際的にも、なされていないと憤っている。確かに、連合軍によるドレスデン大空襲や、東京大空襲ヒロシマナガサキへの原爆投下、ソ連参戦による進攻と暴虐行為、東京裁判での勝者による裁判と、天皇制という国体の護持との狭間で、ポツダム宣言を受け容れざるを得なかった当時の指導者の苦悩が、読み取れる。幣原喜重郎が、マッカーサーとの間で、交わしたといわれる「死んでも口外出来なかったこと」とは何か?吉田茂が、講和条約交渉に際して、持論の非武装から、将来の再軍備への可能性を、マッカーサーとのやり取りの中で、或いは、日米安保条約締結との見返りとしての沖縄の立場、米軍駐留の問題、「一人で、抱えて、墓場まで持って行ってしまった事柄」が、今日ほど、重く、「戦後」が、未だに、永遠と、続いていることを、改めて、感じることはない。今日からみれば、容易く、全面講和があるべきであったとか、警察予備隊の在り方を云々する議論は尽きないが、朝鮮戦争の勃発の最中、或いは、中国義勇軍の参戦という事態を前にして、独立国家として、どのような限られた選択が、果たして、占領下、マッカーサー軍政の中で、その余地があったのであろうかと推察せざるを得ない。歴史に、「もし」は、不可能であるが、ヤルタ秘密協定を、もっと、早く、知っていたのにも関わらず、無駄な時間を不作為の下で、費やしたことは、トルーマンが、ルーズベルトの引き出しから、その死後に、初めて、協定を見つけたとか、言われているが、何が、正しい選択で、何を善しとし、何が、悪かったのかを、判断議論しても、歴史の歯車は、戻らない。「失敗の本質」分析は、良いし、その研究も必要であるが、、、、、、。少なくとも、この著作の読み方は、書かれた内容に関して、善悪を判断するのではなく、事実を再確認、再検証するだけの自らの研鑽と能力を磨かなければ、吉田茂が、憲兵隊に拘束された事実を持ってして、占領軍が、公職追放から、除外したとか、駐英大使として、日独防共協定に反対したとか、広田剛毅内閣の外相に推されたときも軍部の反対で、幸運にも免れ、(後に、広田は、絞首刑台に上がることになるが、)これらが、強運で、リベラルだった鳩山一郎石橋湛山が、公職追放令で、多くの経営者と共に、パージされたことは、単に、運がなかったとか、言う問題ではなさそうである。 私的な感想としては、必ずしも、著者の主張する全ての論旨に、賛成するモノではないが、少なくとも、外交官としての経験から、膨大な日米間の当時の著作を、英文、邦文、訳文を含めて、引用しているその検証作業は、もっと、占領軍による軍政の研究として、評価されて然るべきものである。いずれにせよ、今日も尚、連合国、戦勝国との戦後体制は、引き続いているわけで、それは、考えてみれば、朝鮮半島での休戦協定、日ソ平和条約の未締結など、今日的な歴史認識論争、帝国主義と植民地主義の悲劇、従軍慰安婦、靖国合祀の問題、集団的な自衛権の問題、沖縄の駐留基地の問題、等、どれをとっても、竹島尖閣の問題とも、根っこは、一つであることを改めて、再認識させてくれる。未だ、「戦後」は、終了しておらず、まだまだ、100年の間、続きそうな奥深い問題である。まるで、戦後の占領を分析したこの著作は、第一次世界大戦前夜か、第二次世界大戦前夜を、改めて、考え直して見る良い機会に、なろうかと思われる。それは、又、同時に、今日的な課題を再考してみる良い機会になることは、言を俟たない。米国側からの占領政策の分析だけではなしに、ソ連側からの対日占領政策に対する文献の分析も、望まれて止まない。確かに、ソ連のスターリン粛正や、毛沢東大躍進政策の失敗、文化大革命での人権侵害、朝鮮戦争に於ける中国共産党の影響なども、戦後史の課題として、もっと、深く、分析されて然るべきかも知れない、、、、、、、。白洲次郎ではないが、確かに、今日でも、「プリンシプルのない日本」という国は、戦後をずっと、永遠に、引きずっていった方が、良いのではないかとも、感じられるが、、、、、、。プリンシプルを持つようになるのは、いつになるのであろうか?少なくとも、国がもてないのであれば、個人個人が、しっかりと、自分のプリンシプルを作り出さないといけないのではないだろうか?それにしても、今日、「外交」が、定まらないのは、どこに、原因するものなのであろうか?真の国際的な外交官というものは、どのようにして、若いときから、作られるのであろうか?戦後すぐ生まれた団塊世代のみならず、戦後という言葉すら知らない若い人にも、是非、一度、読んでもらいたい著作である。