小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

タリバン運動批判の少女銃撃に想う

タリバン運動批判の少女銃撃に想う

先頃、イスラム教を冒涜したとされる映像を、一部ではあるが、ネットで、確認して、成る程、これでは、イスラム原理主義者でなくても、抗議するのは、当たり前だと同情をしたところであるが、流石に、バスを待ち伏せして、パキスタンの14歳の少女を銃撃するというニュースには、全く、驚愕としか言えないであろう。同じイスラム諸国でも、トルコなどは、近代化に、成功しているのに対して、タリバンなどは、どのように、女性への教育の機会均等もなくして、国作りを進めるのであろうか?、只、単に、教条主義的解釈のみで、幼気な少女に対しても、銃撃にまで及ぶとは、どのような主義・主張の原理的な解釈が、あるのであろうか?考えてみれば、日本でも、女性参政権が認められたのは、戦後のことであり、祖母や母の若い時代には、選挙権や、勉学の機会する十分に与えられていなかったという歴史的事実があるが、、、、、、。明治期の大山捨松や津田梅子なら、いざしらず、女性の教育への情熱は、女子大や看護婦学校の設立を挙げるまでもなく、社会との謂われのない差別、男性支配との戦いの歴史でもあった。非難がましくステートメントを読み上げる女性である米国のクリントン国務長官は、イスラム女性に対して、いかほどの近代的な教育援助を施してきたのであろうか?只単に、過激派の暴挙をあげつらうだけでなく、或いは、イスラム原理主義を非難するだけでなく、真のイスラム圏の女性に対する教育の機会均等を、積極的に、推し進めるべきではないだろうか?亡き母は、結局、家庭の経済的事情で、戦前、大学に行けなかったので、看護婦免許と助産婦の資格を取得して、70歳過ぎまでも、病院に勤務して、生涯を閉じたが、唯一、大学に、入学したその長兄は、将校として、フィリピンで、戦死してしまい、母は、生前、その両親に向かって、姉と一緒に、「私達姉妹にも、教育を受けさせてくれていれば、こんなことには、ならなかったのに、、、、、、、」と、よく、酒の席で、愚痴をこぼしていたものである。その時の祖父母の顔が、忘れられない。ふと、そんなことを、想い出した。