小諸 布引便り Luckyの日記

信州の大自然に囲まれて、老犬介護が終わり、再び、様々な分野で社会戯評する。

中秋の小諸本陣ライブを聴く

 

中秋の小諸本陣ライブを聴く

 

松本市も、長野市も、結構、音楽や絵画、芸術に、力を注いでいる様な気がするが、小諸市も、遅ればせながら、一歩を踏み出したような感じがする。春の小諸城址公園の馬場で、開催されたサクラ・ライブを、中秋に、歴史的な遺産である大名の宿舎であった小諸本陣主屋で、初めて、ライブ公演するモノで、世界的な尺八奏者(杉沼左千雄)の奥深い幽玄の世界と南米・アフリカなどの心躍る音楽、オギタカ・ユニット(オギタカ:ボーカル、キーボード、ジャンベ、多種民族楽器、星山剛:ブルースハープ、池野礁:コンガ、パーカッション、ベース)の融合とを目指し、前衛的な音楽を堪能しようとするものである。成る程、「虚無僧」の音楽に由来する尺八の音は、アフリカの太鼓や、木琴や、中南米のコンガ等に、或いは、ハーモニカの音にも、違和感なく、調和するものであることに驚かされる。「耳濯ぐ」という言葉があるが、鼓膜に、太鼓のズンズンという音が、響いてきて、そこに、尺八の幽玄な「虚無」の音が、浸透するように、心の奥底までに、響いてくるような感じがする。盆踊りや、民謡(小諸節の現代風なアレンジの曲も披露された)のように、自然に、身体が動き出したり、踊ったり、跳ねたりする原動力は、音楽のリズムや、音の中にあるように、このライブを聴きながら、感じ取れる。アフリカの太鼓や、中南米のコンガの音には、そんな人間の本能に根ざしたような何かが、現として、存在するのであろう。リズム感と踊り出すムチべーションとは、何か、音楽の本質、人間の喜びの表現の一つであると感じてしまう。たまには、2メートル位の近くで、直接、「耳洗う」のも、「心の洗濯」になって宜しいのではないかと思うが、如何だろうか?精神を病む若い現代人が、多いが、元気旺盛な中高老年の男女の聴衆だけでなくて、若い人達も、是非、聞いて貰いたいものである。(実際、中高年の聴衆が多いのには、驚いた)1021日から、28日まで、信州小諸、「杜の城下町フェスタ」を予定していたり、1117日に、小諸ユースホステルで、「アフリカの夜」、コンサートが、予定されているようである。これからも、ますますの音楽活動の活躍の場が、拡がることを期待し、応援してゆきたい。会場に活けられていたすすきの穂も、音楽にマッチしていたし、コンサートが終わって、会場を出ると、雨上がりの空には、中秋の朧月が、小諸城趾の上に、雲間から、覗いていて、風情があった。